1989年時点で、スティーブン・クラボー氏が、クリストファー・アレレグサンダー氏の活動を総括している。
日本では、1985年、盈進学園東野高校が建設され、新建築の表紙を飾った。デザイナーにもクリストファー・アレレグサンダー知られるようになった後の出版である。
盈進学園東野高校のホームページの施設紹介では、このクリストファー・アレレグサンダー氏による校舎が、多くの写真で紹介されています。
当然、この本の真ん中には、この綴じ込み写真があります。
完成後、ここ建築は、どうもキッチュで、にせものっぽい!という人もいると思いますが、僕は、空間・環境として、いいなって思いました。
池があって、太鼓橋があって、ちょっと曲がって街路みたいな空間があって、教室間には、小さな中庭もある。講堂も木造で、雰囲気があります。
わが、黒沢尻北高校も、丘の上にあって、校門をくぐると、桜並木をがあり、それをさらに進み、ちょっと曲がると、校舎でした。
当時は、校舎も、大正時代の鉄筋コンクリートの校舎、新しい特別教室。いっぽう、私の木造の古い講堂(柔剣道場に使われていました。)図書館も木造で。
今思えば、いろんな世代の、いろんな空気の校舎が、桜と松の丘の上に、入り混じっていた。
ついでに、校舎の裏には御旅屋といって、神社があって、(たぶん街中の諏訪神社の神様が旅にくるところ、今思うと、町の結界?っテ感じかも)そこも、校内見たいなもので・・。
春には、松林から鶯の声が聞こえ、桜の下の芝生で、お弁当。のどかなものです。
校舎なら、同じように自由学園も好きです。フランク・ロイド・ライトのでし遠藤新が主に設計しています。
明日館はフランク・ロイド・ライトですが。
それに比べ、最近の校舎は立派過ぎるというか・・、教育環境としては、あまりにも人工的過ぎる感じがします。
話は外れましたが、こんなアットホームな感じで、クリストファー・アレレグサンダー氏の盈進学園東野高校けっこういいんですよ。
この本では、スティーブン・クラボー氏が解説で、クリストファー・アレレグサンダー氏の活動が、コンピューター・数学的思考から、デザイン理論を構築し、パターン・ランゲージにいたり、美しさの質の問題にも達することを紹介している。
その活動と思考は、さらに、建設行為への問題にも至る。
そのような過程を、クリストファー・アレレグサンダー氏の著作では論じていない、プロジェクトでの実際の周辺の反応を交えながら、クラボー氏が紹介している。
クリストファー・アレレグサンダーの思考の理解の手助けになると思う。
ホームページを見ると、クリストファー・アレレグサンダー氏は、パターン・ランゲージをもとに現在でも活躍中らしい。
しかし「建設行為への問題」で、建設業界からは距離を置かれててしまった感がある。
その理由が、次に明記されていると思う。
『*「住宅問題」の核心が抵当システムにあるのは明らかだ。具体的に言えば、貨幣経済のなかで住宅が商品とみなされていることこそ問題だ。
・・・われわれが住宅を商品として扱うのをやめるときのみ、悪循環は断ち切られる。つまるところ、商品としての住宅にまつわる金銭的な制約条件をはねつけることが必要なのである。』
「抵当プロセスと商品としての住宅」が質を決定付けていることは、確かである。
一方、今や新自由主義経済の全盛である。小泉政権時に実施された基準緩和や容積率の引き上げは、まさに都市全体を市場経済、商品へと導き、住宅も今や住宅メーカーの独断場とも言えよう。
そこで生み出されたものは、高層ビルという巨大墓石、コマーシャルのイメージとは異なって完成すると画一的で設備お化けな住宅だ。寿命も美しく時代を代表する高層ビルでさえ30年という商品であることを、赤坂プリンスホテルは証明してしまったのだ。
さらに、先ほどの安部政権の再登場は、明らかに、 新自由主義経済への再突入である。
しかしながら、この20年の日本の停滞は、更なる経済発展を望んでいるのだ。
市場経済のなかで、都市・住宅が商品としてだけでなく、美しく・人間性を取り戻せるような住宅と都市の構築・建設のあり方を、そのシステムを考えなければならないのではなかろうか。
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