2010年8月22日日曜日

東条英機と天皇の時代 (上) 軍内抗争から開戦前夜まで

著者 : 保阪 正康

訳者 : -


整理番号 : 1035

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ヒロシの書評:
「小説 田中角栄」-1.青雲編を読んで、続編があるかと思えばない。また父の本棚に眼をやると、今度はこの「東条英機」が目に入ってきた。
東條英機と言えば、太平洋戦争の主犯で「A級戦犯」。まあ、僕らの世代からすると、すでに歴史の人ではあるが、悪の権化のイメージが一般的であろう。
ところで岩手の人の自慢で、歴代総理大臣の出身県というのがある。「最も多いのは明治維新の主導地域長州の山口県で8人であり、東京都が5人、岩手県が4人で続いている。戦後は群馬県が4人で最多である。「歴代首相出身県」というのであるが、戦中派の人はこれに東条英機を加えて5人としてしまう。父が岩手だから・・と聞いていたが。
この東條を除く4人を見ている総理大臣の欲がありありで総理大臣になったイメージではない。米内光政の伝記でも、なりたくてなった感じでもない。鈴木善幸にしても、角副戦争が大平正義が総理につくが、急死を経て、総理の座が転がり込んできた?やらざる得なかった、とイメージが子供ながら思った。東條にしても本当に自らが、先頭で回線への旗を振ったのであろうか?そしてどんな人物であろうか?そんな思いから、また読み始めてしまった。
読み始めると、これがなかなか面白い。
僕にしては、詳しすぎて・・たいへんなのですが・・印象的なことをいくつか上げると。
まずひとつに生い立ちと勉強方法の開眼。
先祖は南部藩に仕えた矧y師。(えっ矧y師?って感じですが・当時は知的回想だったのかもしれません。)南部藩のお家騒動と明治維新の中、父英教は生きる道を求めて軍隊に。父は秀才で陸軍中将まで出世し、陸軍きっての理論派なるが、長州閥との対立・濫ニして左官される。父が出世できなかった無念の思いが子英機に託され、軍隊一筋の教育環境にあったようである。
ところが英機は父ほど秀才ではなかったようで、苦労したようだ。ところが幼年学校か士官学校のあたりで「丸暗記」という勉強方法を習得する。教科書をそらんじるほどに暗記する。この方法で成績が見違えるほどアップ。これで東條英機の出世の道が開けたようだ。メモ魔東條、カミャ鞄捲鰍烽アの辺りが原点ではなかろうかと思った。
次に原理主義者ってこと。
もちろんイスラム原理主義社じゃないよ。天皇原理主義、明治憲法原理主義、軍人勅語原理主義っていうか、東条英機にそんな感じのイメージを受けた。「丸暗記」を征服した東條は、「軍人勅語」も完璧に丸暗記して、相手を論破するのに「軍人勅語」の一節を用いて、相手を打ち負かしたという。(いま手元に本がないので、記憶があいまいなのですが・・)このような手法・思考方法が東條の骨格となっていったように思います。
軍人勅語を、明治憲法、軍隊の天皇輔弼の原理、帝国国策遂行要領に当てはめ、決められて物がこうであるから、そう実行しなければならない、そう実行せねばならぬ、という思考。そのような考え方が、底流にはあったように感じました。軍人として教育され、それが当然、まじめな考え方で正義であるともいえると思います。(私の立場で考えると、建築基準法は守るのが当たり前、法律の内容は全て正しい・・と考えるように・・)
しかしそれは一方で、偏狭な思考となってしまったのではないかと思うのです。・・ウーン、当時の最高の頭脳が考えていることですから、偏狭というより、責任を原理そのものに投げてしまう思考がどこかにあったように思うのです。
その次に政治の体制・組織についてです。
今でも内閣総理大臣は内閣の取りまとめやら、党内の取りまとめやら、組織維持には大変そうです。でも、明治政府のトップの組織はもって煩雑って感じを受けました。今と同じ内閣と内閣総理大臣がいて、その上に天皇がいる。さらに、軍部が強力な力を持っていて、総理大臣が嫌われて、軍から陸軍大臣・海軍大臣を出さないといったら、内閣は作れないといった感じ。軍は天皇を輔弼する役目があって、総理大臣抜きの天皇とのパイプがあるような。
さらにさらに、陸軍も海軍も、陸軍省・海軍省という政治的部署と、参謀局(陸軍は参謀本部・海軍は軍令部)という実際の部隊率いる部署に分かれていて、これも結高ネ駆け引きがある。実際の軍を率い、落Zの金も握り、もともと輔弼は参謀局に会ったらしいから、大変なのも伺える。
さらにさらにさらに、満州国もあり、これが本当の独立国であるのか、軍事的にはどうであるのかなども、どうも綱引きが続いていたらしい。
そんなことで、人事・組閣、重要議題についても、調整・調整そして駆け引き・・って感じ。要職者ののスタンドプレーや私的見解での情報の見誤りもあったり。重要議題について、腹を割って議論を進めた結果とは言いがたく、そんなこんなでなんとなく三国同盟・米国との交渉決裂・中国をそのままに南進政策に進んだのもいがめない。
個人の問題だけでなく、この複雑な決定機鴻Vステムが悲劇をもたらしたとも感じました。
今も昔も国の要職にある秀才でも人間関係はもつれてばかり・・
これも、印象的です。秀才の軍人の中でも肌に合う、合わないって結うのがあるんですね。陸軍の長州閥は当初大変だったようで、最初は、この閥を解体しようと仲間も、長州閥が薄れると、仲が悪くなったり。満州事変の首謀者といえば板垣征四郎と石原莞爾。二人とも教鞭派のイメージで気が合いそうなんだけど、結局反目しあっている。板垣征四郎は、岩手出身で、リベラル派の海軍大臣米内光政とは盛岡中学の同級で仲が良かったり。石原莞爾は、東條と反目からはリベラル的扱いで描かれていました。昔も今も変わらず政治家同士でもそうみたいだし。
国家の最高決定機関であっても、人間関係の好き嫌いはあるのですね。秀才たちであっても、理論や理性は、感情に勝てないのかなとも思いました。
システムや環境に問題の論拠を置く視点は必要と書きながら思ったのですが、東条英機の個人の問題はどこにあったのかもやはり考えなければならないことだと、ここで書きながら感じました。
ここまで考えるには、きっとこの本の後編の太平洋戦争開始から終戦・判決まで、読まなきゃいけなさそうです。前編を読んでの頼エですが、幼年期からの軍人となることに徹し教育され、また、父へのコンプレックスが、広く人材を求め組織していく外向きの性格ではなくし、自己完結的性格で周辺の人材も都合の良いものだけが集まってしまったこと。さらに前に触れた、原理主義的思考が、当時の組織・環境のハンディーはあったとしても国の指導者として見識としてもいささか狭いものとしてしまったこと。原理主義的思考が軍人勅語教条主義を拡大し、精神主義による玉砕戦法へと導いてしまったのではかかったかと卵ェするのです。
さらにこの玉砕戦法は、一方で軍人としてドイツから学んでいた理性的思考の国家総力戦という近代的戦法と皮肉にも一体となり、被害は想像をはるかに超える結末となってしまったのではないか・・と想像するのですが。
いずれ、後編も読んで見なきゃと思ってます。
建築家の感想文としては書きすぎですね・・
教科書やテレビでかいつまんだ評価済みのことを頭に入れるのもいいけど、少し詳しい全体像をつかむのにこの本はいいように感じました。(歴史家から見ればあくまでイントロでしょうが・・)でも面白いと思います。本当の評価は、歴史家の判断にゆだねるべきかもしれませんが・・。
デモね、自分で考えてみたくなるのが建築家の性なんですね・・


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小説 田中角栄〈上〉 (徳間文庫)

著者 : 邦光 史郎

訳者 : -


整理番号 : 1034

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ヒロシの書評:
夏休みに帰省。ノートパャRンは持ち込んだものの、なんとなく仕事ははかどらず、父の本棚から引き出して、読みました。
設計の仕事をゲットする営業はどうすればいいのか、そして、人脈の広がらない悩み。そんな僕とは、正反対の人物であろう田中角栄が、なんとなく気になったのでした。
僕の世代からすると、田中角栄といえば、ロッキード事件。子供心に、報道は悪の権化みたいな扱いの感じだったと言う記憶だ。大学に入っても田中角栄がらみの仕事は絶対しないと豪語するやからもいたとか・・そんな時代であった。
そんな僕も、勤めた設計事務所は、小佐野賢治氏の国際興業とのかかわりの深いところで、・・報道と現実のギャップをなんとなく受け入れる感じですごしてきた。
デモね、政治と裏献金の問題は、ロッキード事件以降も相変わらずだし、さらに拡張して考えると、法律や補助金だって特定企業の思うままに操られ、その結果、特定の企業や特定の団体に、補助金やら商売上の優遇が与えられて、何億何初ュ何百億の利益を得ているといういると思えば、それもたいした事のないように見えてしまう。
たぶん、そんな思いから、むしろ田中角栄の生い立ちを見てみたくなったんだと思う。
何せ、「日本列島改造論」をあらわし、建築士の制度をつくり日本の一級建築士第1号(・・確かそういう記憶なのですが・・)で、戦後日本の建設土木開発の権化(また権化ですが)のような方ですから。

前段が長くなりました。
でも、以外というか、田中角栄の若いころの話を読んでいると、すごく好感が持てたのです。
子供のころ角栄氏の総理大臣の映像を見ていると、戦争に行っているなんて、なんだか想像だにしなかったのですが、徴兵されて満州まで行ってるんですね。
そして、描かれているの角栄氏のラッキーさと、要領のよさ。この要領のよさって言うのは、嫌われながらもずるがしこいのではなく、頭が良くて、人懐っこいく、人に慕われる(重宝される)事から来る要領のよさ。ま、うらやましいです。
ラッキーというのはすごくて、徴兵後の満州でラッキーにも病気で兵役を離脱、その病気も生死ををさまよいながらもラッキーにも無事回復。回復後は、建設会社の娘と結婚し、建設会社社長へ。その建設会社は戦時中も、官庁の軍事施設を請負会社は順風満帆。
またもや軍事関連工場建設のため満州へと行く事となるが、そこで終戦。普通はここで生死をさまようパターンもあろうが、悠々船で帰国。それもカクエイの乗船名簿の名前を女性と勘違いしたため、いの一番い乗船させられたという。恐るべし。
戦後になると、どうも建設会社の規制があり建設会社の数自体制限されていたようであるが、戦前の官庁工事の実績から指定の建設会社となる。全国焼け野原の状況であるから、指定の建設会社となれば、おいしい仕事がどんどんゲットできたのは想像に難くない。
要領のいい性格から、民間の企業の人脈ともつながり、また、神楽坂では芸子にモテモテと、・・・ウーン、男にしては、バブル期以上に、うらやましい限りである。
また、戦後まもなくは、政治的にもまだ、混迷の時代。佐藤栄作・田中角栄=自民党って感じで、もうそれは決まりきってること、って子供心にテレビを見たいたけど、思えは戦後、自民党ができるまでは、政治的にも混迷の時代だったのですね。
何せ、読んでいるとGHQ内部でさえ、左派・社会党容認派の民生局(GS)と、右派系のG2(参謀第2部)があって、まだてんてこ舞いだった。
そんな時代だから、金に融通の聞く田中にご指名が上がった。選挙だって田中がはじめて立ったのは、戦後はじめての衆議院選挙で、女性の参政権もはじめてなのですから・・めちゃくちゃだった。
選挙は楽勝だったはずが、裏切り行為あり、などで、雪の中の選挙戦、弁論会場の参加者はゼロのところもあったり、始めての選挙は時点で落選してしまう・・。そこに、田中角栄の政治家魂に火がついた・・・のだとか。
てな事で、2回目の選挙では、当選し、田中角栄代議士が誕生したのだと・・・

今から考えると、すごい時代だったのですね。
ぐちゃぐちゃした時代だったからこそ、エネルギッシュな田中角栄が生まれれきたのでしょうね。
それに比べると今は何もかにもが整ってしまって、・・特に建築関係は・・というのはいがめない。
とはいえ、ITで明らかにある面では時代が変わっているし、何といっても田中氏の人付き合いのうまさ、要領のよさは、学ばなければならないなー。
学んで、学べるものじゃないかもしれないけど・・努力しなきゃと思ったよー。
それと、やっぱり運ってのが、人生には決定的ではあろうって思った。でも、これだけはしょうがない。逆に言えば、いま運がないのは、自分のせいではないって事。しょうがない、笑い飛ばすしかないね。
学ぶべきは、考えてばかりいないで外に出ろ!って、今の僕に言い聞かせました。


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