2010年1月19日火曜日

ミース・ファン・デル・ローエ vol.2 建築文化 vol.53 no.615 1998年

著者 : -

訳者 : -


整理番号 : 12

分類 : 建築_作品   |  ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:10000000

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ヒロシの書評:
ヨーロッパ時代の特集続く、アメリカ時代の特集。最初の掲載写真が、レイク・ショア・ドライブ。それにシーグラム・ビル、シカゴ連邦センター、ベルリン新国立ギャラリーと続く。
なんと、最初の掲載写真が、レイク・ショア・ドライブあることは印象的だ。アメリカ時代は「経済性・プラグマティズムを代表する建築だなければならない」ということか。これを最初に知ったのは、大学の神代雄一郎先生の意匠の講義のスライドだったと思う。近代建築に批判的立場だったと思うが、この建物に関しては案外好意的だった印象がある。ただ、「エントランスのトラバーチンの大理石は、凍害で割れていました」というスライドのカットで、チクリとすることも忘れていなかった。
この延長上にシーグラム・ビルがあるのだろうが、シーグラム・ビルの威厳のある巨大な結晶・悪く言えば権威の象徴のような建築に比べると、同様のデザインでありながら、タワーとしての明快さ、ツインビルの絶妙の配置コンポジション、近代建築に失われがちな優雅な質感は、いかにも湖畔にふさわしく、美しい作品だと思う。
また、最後には、「ニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵」のドローイング・図面が、ヨーロッパ時代・アメリカ時代をとおして、主要なものが掲載されていて、ありがたい。

評論・対談もいくつか掲載されている。
八束はじめ「極限の家に向かって」では、「・・アメリカでのファーンズワース邸といういまひとつの(そして、私の見解では、おそらく真の)ピークに達する・・」p70とし、近年のミース再評価の傾向に、反逆ののろしを上げている。まあ、文脈は無視し、冒頭の一部を抜き出しているので、そんな大仰の話ではないのであるが、実は括弧の、「(そして、私の見解では、おそらく真の)」が、八束氏の本音ではないのかと勝手に解釈した。
この論文の中で、気になる字句がある。「結晶」である。

実はアメリカ旅行でシカゴを訪れ、IITのクラウンホールを見に行った。当時は、周辺の地域は非常に治安が悪い雰囲気だった(とにかくそう思えた)。IITキャンパスでは、夏で、時期的に学生がいなかったこともあろうか。クラウンホールまで近づき、さあこれからゆっくり見ようとすると、パトカーのサイレンが鳴り出し、妻と一緒にあわてて、少し人通りの多いところまで、逃げかえった思い出がある。しかし、そこで、目に焼き付けたクラウンホールは、まさに「結晶」のような建築であった。
私の体験上、「結晶」という言葉がふさわしい建築が、もうひとつある。ローマで訪れた、ブラマンテ設計の「テンピェット」。集中式ドームの原型といわれる。中庭に建つ、小さなこの建物は、これ以降の原型となるべき、まさに完全なる「結晶」に思えた。
材料も、大きさも、立地環境もまったく異なる建物であるが、クラウンホールは、まさに現代の「結晶」建築にふさわしく思えた。ガラスと鉄の「結晶」。いわゆるユニバーサル空間の「結晶」。近代建築ひとつの特徴である材料の視点、もうひとつの特徴である空間的視点の双方から、原型となるべき「結晶」と思えたのかもしれない。
いや、そんな硬く苦しい理解ではなく、そこに「存在するだけで美しい」という「結晶」というイメージが、クラウンホールについて離れないのである。

八束氏はこのような表現をしている。(たぶん文脈上アメリカ時代以降の作品をさすのだと思うが)「それ以降、ガラスの全面化によって柱はシステムとして建築を包囲しだす。・・内部の自由なオブジェの大意穂がつくりだしていたそれまでの流れるような空間は消失し、壁や柱のようなここの要素にも増して、空間の全体が硬い結晶のように凝固する。」p71。
また、「ミースはアメリカではじめて物質主義者になれてのである。その都市部でのオフィスビルやアパートの仕事には、彼の新たな結晶化した箱によるスタイルがいかにも向いていた。」p76とも、表現している。
むろん八束氏は、詳細な実例の分析を進めながら、結論に至るのであるが、私は、この結晶というイメージが、ほかの近代建築家にはない魅力の源泉となっているのではないかと思う。
八束氏もさいごにこう結んでいる。「ミースの真のピークに関して理解するのは難しい。・・もうひとつのピークであるクラウン・ホールへと至るIITへに建物について述べなくてはならないにせよ、ファーンズワース邸がバルセロナ・パビリオン以来の展開に対する究極の解答(・・であったことには間違いない。」)
まさに「クラウン・ホールへとファーンズワース邸」の復活宣言!

これ以降は、完全に私のミース論(って言うか、ざつだん)となるが、書き進めたい。

前号の対談で八束氏は、設計者にはイメージしやすい例をあげて、こんな話をしている。
「磯崎新さんと対談したとき、磯崎さんは「ミースはやっぱりヨーロッパ時代が面白い。アメリカに行くとデベロッパーに巻き込まれちゃって面白くない」と言うんです。レムはそうじゃなくて、シカゴのフェデアルセンターみたいなものが面白いというんですね。」
君は、磯崎派?・レム派?って言うこと。設計屋にとっては、非常に明快な気がするでしょ。
でも、共通点があって、どちらも、設計でデザインを引用しながら、かつ、デザイン展開がしやすいって感じがする。まさに、現在のデザインは、このような展開手法に頼っているように思う。

しかし、「クラウン・ホールへとファーンズワース邸」の「結晶」につながるイメージが、ミースのほかの近代建築と異なる源泉であるとすると、いささか話がややこしい。
時期的には「クラウン・ホールへとファーンズワース邸」は「磯崎派?・レム派?」のちょうど、真ん中である。
この「結晶」につながるイメージ源泉は、記号的操作により得られるものでもない。たとえ、ミースの列柱のコンポジションが、古典建築に似ているからといってそれをまねても、これらのミースの空間に迫れないことは、ポストモダンの実験で明らかである。
そして、このイメージの源泉が、実際どこから引き出されるかと考えれば、「システムとディティール」というのが、前号の八束氏の評論「ミース論の現在」から、導き出した結論である。
実は、「システムとディティール」というのが大変厄介者である。まず、システムとは何ぞや。社会的状況・思想的背景・施工環境により大きく変わる。建物ごとの設計目標によっても変わろう。
たとえ、システムが構築できたとしても、ディティールまで、ひとつの設計思想により一貫したシステムを築くのは、至難の業である。
さらに、さらにである。その、一貫した結晶のようなシステムは、一度つくりあげると、簡単には、改変できない。デザインの展開が容易ではないのだ。ミース・ファン・デル・ローエの「結晶」としてのデザインは、いくら改変しようが、ミース・ファン・デル・ローエであり。下手にその「結晶」のシステムを下手にいじるならば、恐ろしいほどキッチュで、みすぼらしい建築になってしまう。
「結晶」の「システムとディティール」のデザインは、このようなジレンマに落ちいってしまう。
これは、何もミースだけではない。ルイス・カーンにおいても、同様である。ルイス・カーンのデザインをどういじっても、ルイス・カーンのそれであり、苦し紛れに、丸い、または三角の開口を開ければ、ルイス・カーンのコピーとなるか、恐ろしいキッチュなデザインとなる。といって、ルイス・カーンの理念を研究したからといって、新しいシステムが沸いて出てくるわけでもないのである。
これが、近代建築の「結晶のジレンマ」。

やっぱり、「磯崎派?・レム派?」となり、デザインを展開、消費する?。消費の行き詰まりには、システムとまでは行かないまでも、デザインとは、多少距離を置いたプログラミングとか言う考え方で、システムの部分部分を適度に改変するというのが、近頃の傾向ではないだろうか。
しかし、そこでも何かが足りない。

さてどうする?PC/ITにたよるしかないか・・ということで、複雑系・アルゴリズムに向かうしかないのかな、とも思うのです。


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ミース・ファン・デル・ローエ vol.1 建築文化 vol.53 no.615 1998年

著者 : -

訳者 : -


整理番号 : 11

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ヒロシの書評:
ミースの手ごろな作品特集。ミース前段のヨーロッパ時代の特集。最初に、再現されたバルセロナ・パビリオンの豊富な写真が掲載されている。また、東京大学工学部建築学科所蔵バルセロナ・パビリオン青図(たぶん実際の実施設計レベル)も興味深い。
ポストモダン以降のミースの再評価が、このヨーロッパ時代を、中心にされている匂いがプンプンの、特集の構成のように思える。
掲載の批評も興味をそそられる。

ビアトリス・コロミーナ氏の「ミース・ノット」では、期待通りのマスメディア論を展開。「この計画(フリードリヒシュトラーセ設計競技)は、ここ数年私が論じてきた例証となるものだ。すなわち、近代建築が<近代的>足りうるのは、・・・ガラス、鉄、鉄筋コンクリートの使用においてなのでなく、メディアとの積極的関与、つまり出版物、設計競技、展覧会などの関与においてなのである。・・・フリードリヒシュトラーセ設計競技、『G』、『曙光』などの文脈においては、近代建築のマニフェストに変わってしまったのだ。」(p86)と。
さらに、ミースについては、「ミースの建物において<重要であるのは>、それらが実際にどのように建てられているかでなく、それらが<どのように見えるか>なのだと認識することである。ならば、重要なのはそのイメージ、写真におけるイメージなのだ。」と。このあたりが、再評価のひとつの視点。
杉本俊多氏の「シンケルとミース」では、再評価のもうひとつの視点、古典主義による影響を解説している。当時ドイツのロマン主義・表現主義・構成主義の影響の指摘もなるほどである。また、CGによる復元と実際のミースのドローイングの比較は、改めて、をビアトリス・コロミーナ氏の「マスメディア論」納得させるものであった。
八束はじめ氏は、「ミース論の現在」により包括的解説をしている。うえの、再評価の視点も、八束氏の受け売り?かもしれない。具体的な、再評価の系統・本の解説もうれしい。
ミースの本は2系統。「MoMAの系統の(ジョンソン、グレッサー、ドレクスラー)とIITの系統(カーター、スペース)」に分かれ、前者は「膨大なドローイングの寄贈を受け・・管理した人」、後者は「いわば門下」だそうです。
「他はスイスのブレーザー・・、ミースの全面的お墨付きのある本」とのことで、この本は、僕がミースの感覚に最も近い作品集かと思い購入したのですが、結構いい線を行ってたのですね。
「MoMAのドローイング集も20巻のアーカイブとして出て、」といってますから、基本的にはこれがミースを一応網羅した作品集なのでしょう。蛇足ですが、1996年アーキテクチュア・オブ・ザ・イヤー展で、磯崎新氏の所蔵本が復元されていたのですが、そこになにやら膨大なミースの作品集があって、何かと思っていたのですが、たぶんこれだったのですね。
それと、その後の評論については「ボォルフ・テーゲットフ、リチャード・ポマー、フィリッツ・ノイマイヤー」ろ「シュルツ」が「新世代のミース研究における四天王」だそうである。
批評の内容で僕が気になったのは、システムとディティールについてだ。「システム=言語の理解というのは、ものを見て感じるというような、いわば抽象論的にはできないものです。注意深くディティールと全体との関わり、・・を仔細に見ていかないといけない」(p124)「ディティールとしてみていても駄目です。システムなんですから。」(p125)とし、ミースの作品について「原理主義的というより、建物のスケールとかに合わせて臨機応変にディティールも変えていると僕は思う。それを理解するには、それなりにディティールのわかる人じゃないと無理でしょう。・・ディティールにはそれなりの倫理というか生理みたいのものがあって、・・コーリン・ロウのような美術史家タイプの人だとどうしてもこの辺りが限界になります。本当の細部には踏み込めない。」と指摘しています。
視覚的・観念的批評に傾きがちのデザイン論であるが、全体を構想し、システムに考えをめぐらせ、ディティール・細部にいたる構想を常に抱く、建築家癖というか、設計者の視点から、ミースの理解を必要としていることに、僕も同感するところである。
そして最後で、これは文脈とは関係なしに、語句だけ選んだのであるが、「ファーンズワース邸と双璧であるクラウンホール」という言い回しで「ファーンズワース邸とクラウンホール」がミースの頂点であるかのよう思わせぶりな表現をしている。ミース批判の最大の標的「クラウンホール」が、実は「システムと美しさ」を達成した頂点に当たる作品であろうと、感じているのである。この思いと、八束氏の批評が若干コミットし、思わずニヤッとしている。

とことで、ミースの本を整理しつつ、木になる言葉があった。
Less is more.
ミースの格言とされるが、「ミースが実際に言った言葉、もしくは書き表した言葉」なのかということです。
あまりにも聴きなれた言葉に、つい、ミースが、講義か、文章で発表した言葉と思っていたのですが、パラパラ本をめくっても出てこないし、インターネットで調べても出てこない。
他の、ミースの言葉を拾っても、このようなデザインと直結した言葉は、使っていない。
もっと哲学的・もしくはもっと理念的表現が多いようにも思う。これは、ミース自身の言葉ではない・・と怪しんでいた。
ヒントがありました。
ビアトリス・コロミーナ氏の「ミース・ノット」p85での記述。
「著名な宣言・・(Less is more)」(フィリップ・ジョンソンによってミースの言葉とされた*26))は、ひとりの建築家が発したそのようなわずかな言葉がこれほどまでに多くの公衆に届いたことは類を見ない」と。
注却*26)には「Pilip Johnson,Mies van der Rohe. p49」とある。
うーん、フィリップ・ジョンソンが絡んでいたか。上の原文を見ていないので、ミースか、ジョンソンか、それともこれは解明不明なのか。わかっているのか。いまだ僕は疑問?
知ってる人がいたら教えてくださいね。


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2010年1月16日土曜日

The Art Museums of Louis I Kahn

著者 : Patricia C. Loud/Louis I. Kahn

訳者 : -


整理番号 : 167

分類 : 建築_評論   |  ヒロシの分類 : ルイス・カーン ,- | amazonランキング:10000000

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ヒロシの書評:
イエール・アート・ミュージアム→キンベル・ミュージアム→イエール・ブリティシュ・アート・センターの一連の美術館作品は、ルイス・カーンの建築作品の頂点をなすものといっても、誰も依存はないでしょう。

またそれは、彼の思考の過程と言ってもいいのかと思います。国「の古典的・現代的・未来的デザインの発露に成功した、イエール・アートにはじまり、国「と光・陰の完成・終着点を示したキンベル。個人的には、決してこれを超える建築はないのではないかとも思う。

さらに、外装、光の取り入れ方、ディティールの繊細さという点で、ますます完成されたイエール・ブリティシュ・アート。

政治同様、歴史が、その価値を判断するとしたら、いま、2010年ころ作り出されている建築は、このカーンの美術群に比べれば、随分陳腐な物に思えてならないのです。

その、設計過程を解説しているのがこの本。

たしか、イエール・ブリティシュ・アート・センターで、購入・・・。



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2010年1月11日月曜日

ミース再考―その今日的意味 (SDライブラリー)

著者 : ケネス・フランプトン

訳者 : 澤村 明|EAT


整理番号 : 598

分類 : 建築_評論   |  ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:1538909

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ヒロシの書評:
題名ズバリ!ミースの今日的意味を考える著作。
最初にミースの生涯がデビッド・スペース氏により概説され、次に、ケネス・クランプトン氏による作品解説がされたいる。後段は、ポストモダニズム以降の論客が、現在のミースへの批評を加えるという構成である。
ポストモダニズム以降の論客とは、コーリン・ロウ、ピーター・アイゼンマン、スタンリー・タイガーマン。コーリン・ロウは、コルビジェとミースを古典的デザインから再解読したポストモダニズムの火付け役の一人であり、スタンリー・タイガーマンは、ポストモダニズムへ傾斜した代表的建築家の一人。ピーター・アイゼンマンはデ・コンストラクション(ポストモダニズム以降の建築潮流)の代表的建築家だ。

それで、ミースの今日的意味とはといわれると・・・結論、レム・クールハースのデザインとなった。といえば、単純すぎですか?

ポストモダニズムは、近代建築が捨てた古典的様式と装飾を、記号操作という手法で、時代に適合するように新しく復活させたといえる。さらに、デ・コンストラクションは、近代建築のユニバーサル・スペースそのものを、記号的手法で、再構築した建築といえる。
そこで、古典的イメージの記号操作でなく、ミースのデザインを記号的操作で、再構築たらどうなるか・・それが、レム・クールハースのデザイン。
単純に考えると、私は、こう考えている。

しかし、現在2010年では、複雑系・アルゴリズミック・曲体のようなPC利用の新たなデザインに進もうとしている今、また、新たなミースの今日的読解が必要になる??かもしれないと私は密かに思っている。
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評伝ミース・ファン・デル・ローエ

著者 : フランツ・シュルツ

訳者 : 澤村 明


整理番号 : 360

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ヒロシの書評:
この本は、娘が保育園のころ、マンションの庭にビニールプールを張り、娘をビニールプールに入れながら、僕もテラスで花柄のビキニパンツ姿で、この本を、読んでいたのを思い出す。会社を辞めて、俺も、ミース・ファン・デル・ローエに、あやかろう、いや、ひょっとしたら超えてやろう、見たいな、巨匠を冒涜ともいえる態度で、読んでいたのを思い出す。
やー、若かったんですね。たぶん、12から15年前かな。

今解説を読むと、それまでミースの生い立ちが今ひとつ明確でなかったのを、フランツ・シュルツ氏が、解き明かした話題の本であったようだ。

記憶に残っている話も多い。大邸宅を設計して、実物大の全体模型を作ったとか。巨匠の例に漏れず、家庭にはあまり恵まれず・・というか、少し女たらしのイメージが・・。背広・ぼうし・葉巻全て超一流を常に着用-なるほど、なんとなく理解できる。
一番印象的なのは、ファンズワース邸の訴訟問題かな。ファンズワース女史の、ミースに対する恋心?とも言える感情をつかみ、彼の理想とも言える凝りに凝った建築を実現したのであるが、結局、ファンズワース女史の心がさめるのと同時に、工事費と通風などの性能問題で、泥沼の訴訟問題を招いてしまう。美しい建築と思っていたら、そんなことがあったんですね。

僕も、独立して、オーナーと直接交渉する立場となると、やっぱり、トラブルがあたりして、今、身につまされる話だと、いたく痛感しています。
とにかく、ミースの生涯の全貌がわかり、ミースのデザインの理解・納得が得られる思います。
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Mies Van Der Rohe: The Art of Structure

著者 : Werner Blaser/ Mies Van Der Rohe

訳者 : -


整理番号 : 212

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ヒロシの書評:
手ごろなミース・ファン・デル・ローエの作品集がないと思っていたのであるが、気に入って、購入した。
竣工写真、図面、スケッチ、コラージュ、模型など、程よく構成されている。写真も、全体像ばかりでなく、ディティールのカットや、工事中のITTクラウンホールの工事中のカット、意図的なフレーミングの写真で構成されている。
ミース・ファン・デル・ローエ本人が構成・編集したわけではないが、あたかもミース・ファン・デル・ローエが意図した構成・編集したと思える雰囲気を持っていると僕は感じた。

改めて、本を見ると、覚書が沿えれれており、この版権は、著者のWerner Blaserとミース・ファン・デル・ローエの双方に属し、ミースも快く同意し・協力しているようだ。
やはり、ミース・ファン・デル・ローエの意図を汲んだ、著作なのだと思う。

僕も気にいているから、最近は、ミースを見たいときは、これをめくることが多い。
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特集:建築ー現実と詩の架橋|ル・コルビュジェ|ミース|ライト(a+u 1981.1)

著者 : -

訳者 : -


整理番号 : 153

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ヒロシの書評:
-ル・コルビジェ、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライトの現代建築3巨匠の特集である。
大学のとき、手っ取り早く3人が見れる作品集として、購入した記憶がある。
3巨匠の特集とはいえ、ル・コルビジェは、サヴォア邸のみを扱い、ルネ・フェラー氏の解説論文が付け加えれれている。フランク・ロイド・ライトは、内井昭蔵氏の住宅を中心とした関する解説、藤井克昌氏のタイセリアンの解説がある。

とはいえ、この本、実は、ミース・ファン・デル・ローエの紹介が、ほとんどを占める。そのページが160ページあまり、他の2巨匠はいずれも20-30ページである。ミース・ファン・デル・ローエの特集といってもよいであろう。
この時代、近代建築の均一性、単純性が、批判の的となり、おりしもポストモダニズムに大きく傾斜するまさにそのとき、ミース・ファン・デル・ローエは、過去の人と認識する建築かも多かったのではなかろうか。
ル・コルビジェ、フランク・ロイド・ライトは、巧みな形体操作や装飾性により、その批判をかわし、生き延びたともいえる。中で、ミース・ファン・デル・ローエは、I型鋼とガラスという、用途にかかわらない一貫したデザインが、また、誰でも安易に模倣可能(あくまだも「似て非なるもの」なのだと思うが・・)というデザインが、格好の標的であったことには、間違いでないと思う。
とはいえ、僕は、この「ミース・ファン・デル・ローエの特集」が、どうも気になり、というか、好きでよく見返し、本の背が黄ばんだしまっている。

ミース・ファン・デル・ローエの作品については、実施作品が全て、網羅されているといってもよい、と思う。
加えて、ミースの「AIAゴーオールド・メダル受賞記念講演」の論文と、改めて、ミースの価値を考えるべく、子弟たちの対談・論文が掲載されている。

ミースの僕のお気に入りといえば、IITクラウンホールだ。
このクラウンホールは、シンケルを髣髴とさせる古典的平面構成、ユニバーサル・スペースといいながらも、この建物の主要用途としての建築学科の製図室は、実は半地下のコンクリート製の基壇の中に埋め込まれている、など、批判の標的になったように記憶している。
しかし、このクラウンホールは、逆梁トラスによって生み出され、ユニバーサル・スペースと、規則的でかつ抑揚がある鉄骨柱とI型鋼マリオンとガラスによる立面によって、どこか魅了してやまない。
実際にアメリカ旅行で、見に行ったのであるが、「結晶のような」外観は、衝撃的で、今も心の中に残っている。

改めて、この作品集を見直すと、ミースを評価するに、アメリカ以降の鉄とガラスの建築より、ヨーロッパ時代のバルセロナ・パビリオン、チューゲントハット邸を、その妖艶なデザインから、新た待て評価する向きもあるであろうが、
アメリカ以降、完成時代順に並べた、ファンズワース邸→レイクショア・ドライブ・アパートメント→IITクラウンホール→シーグラム・ビル→ニュー・ナショナル・ギャラリー(ベルリン)に、私は心を引かれる。
「均一な退屈さ」の批判を一手に浴びるこの流れであるが、その一方で、この建築群には、素材の使い方、デザインのあり方に「言われなき質」(皮肉にもこの言葉は、クリストファー・アレキサンダーに夜が)が、組み込まれていると思うのである。
まさにミースの発見した「言われなき質」が、「ファンズワース邸→レイクショア・ドライブ・アパートメント→IITクラウンホール」で創生されてと思うのである。

書評というより、私のミース感となったが、ミースを概観するお手軽特集として、重宝させていただいた。
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GAディテール〈no.1〉ミース・ファン・デル・ローエ ファンズワース邸 1945-50 (1976年)

著者 : ダーク・ローハン

訳者 : -


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ヒロシの書評:
大学2年の春に購入したと記憶。
ドローイングを徹底的に研究しようと思って、購入したと思う。
大学1年の賄い付き3帖一間の生活から、脱出。狛江市和泉多摩川の6帖のアパートに引越し。
何もない部屋に、製図台を部屋の真ん中に置き、平面図をトレースして、ケント紙にインキングをした記憶がある。あまり意味のない作業だったようにも思うけど・・。
でも、当時は、安藤忠雄・高松伸よろしくや、建築家がドローイングに力を入れていたから、何かつかみたかったのだと思う。

このディティールを見ていると、その精緻さに驚く。
サッシは全てフラットバーとアングルで作成。ハンドルの形状まで描いてある。さらに、防水の詳細、構造体との取り合い詳細。たてもの全体のモジュール計画から、インテリアのパネル割。設備、家具詳細まで何でもあり。
実際に設計のために描いたものかは、わからないが、とにかくすごい。

アメリカの設計力に、さらに、ミースの一流完全主義者ぶりが伺える。やっぱりここまで書かないと、こんな家は、生まれないのかとも思う。
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GAグローバル・アーキテクチュア〈no.27〉ミース・ファン・デル・ローエ (1974年)

著者 : 二川 幸夫

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ヒロシの書評:
ファンズ・ワース邸との出会いは、友人の作った建築模型であった。
友人とは高橋慎一君。僕は、一浪でようやくがり勉で大学に入ったのであるが、慎一君は、頭がいいから現役で、法政大学の建築学科に入学。彼は、幼なじみで、一年遅れで上京し、彼の部屋を訪れた。そのとき目にしたのが、ファンズワース邸の模型であった。
これがなんとも、衝撃であった。今までに、見たことも、想像したこともない、家であった。少しは、建築をかじって、学科を選べとも、言われそうであるが、なんとも衝撃だったのである。
慎ちゃん(小学校のころからのニックネーム)や僕の世代は、プラモデル世代で、模型を作るのが、好きな世代。今思うと、慎ちゃんは、子供のころから博識であったから、プラモデルだけでなく帆船の木製の模型や、グライダーなんかも作っていた。
彼は、学校の模型作成の課題で、ファンズワース邸を選び、なんとプラ板を使ってつくっていた。プラ板のエッジのカチッとした雰囲気、プラ板の白さが、妙に形とファンズワース邸という形体と呼応して衝撃的だった。
そして、「ここ何って」真ん中のコアにあたる部分を指差して聞いたら、「厨房」って答えてきた。「それ何???」恥ずかしながら、「厨房」って言葉も知らなかった僕。僕の頭に中には、今まで住んでいた家の台所しか、なかったのである。恥ずかしながら、これも衝撃である。

というわけで、大学の1年のときに買った本である。
イメージでは、新緑の中の白いファンズワース邸、秋の黄色に紅葉した木々の中のファンズワース邸、が、頭の中にこびりついている。
もう一度見直すと、結構、白黒写真も多かった。

今いなおしても、やっぱり、いいなー。って思っちゃう。
どこがいいか?って、うーん。

対比的な緊張感、と、絶妙の調停。

対比的な緊張 : 自然のやわらかさ vs 鉄ガラスの硬さ、自然の雑然さ(フラクタル)vs 直線の構成、自然の拡散的充満 vs 中に浮く結晶のような充実
絶妙の調停 :室-広いテラス-エントランスの基壇-自然。室-透明ガラス-自然。

ってとこかな。

ミースのお手軽、かつ、お奨め写真作品集が少ない中で、結構気に入ってます。
それと、大きな写真で見れるところがいいね。

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