2011年12月13日火曜日

銀の匙


灘高の生徒はこれを読んで、東大に入った。その国語教師は、有名な 橋本武先生だそうで。さすれば、これを読めば、頭良くなる?ってことはないでしょ、そもそも頭の出来が違うのだから。
ていっても、やっぱり読んでみたくなった。

大学に入ったとき、専門の勉強していて、たとえば建築家の若いころの話などを読んでいると、優秀な人は、中学高校から基礎教養として、こんなの読んでいたんだって、よく思った。
だから、このようなことを知ると、やっぱりチェックしないではいらられない。あっ、僕はのことより、息子が高校受験勉強中で、親に習って国語が苦手ときた。読んでくれたらなー、って思っていたら、案の定ってか、残念ながら、見向きもしなかったよ。トホホ・・

読んで見ると、子供の頃の情景が湧き出るようで、やはり、すばらしい文学作品なんだろうと思う。
子供のころの情景って、この話は、明治から大正の話でしょうって、言われるかもしれない。
でも、育ったのは、サザエさんほど大きくはないが畳のつなぎ間の家だし、父の実家は商家で、入ると黒々とした、大きな柱と大きな梁がある、大きな板の間があったりして。母方のの親戚に行っても、欄間のある畳のつなぎ間が基本だったもんね。
外で遊ぶにも、街中にも、大きな木造の寺や神社があってがあって、神社はもちろん、寺にも大きな木々が茂っていた。遊び場も、畑や田んぼの間をくぐって行ったり。そこには結構水路があって、たぶん田んぼや畑の用水用だったりしたんだろうけど、木っ端で作った船や葉っぱの船を流したりしてね。
なんだか空気自体に水蒸気感?見たいなのがあったな。レオナルド・ダビンチの空気遠近法じゃないけど、今の乾いて単調な空気でないような気がする。
そんな、雰囲気、情景が浮かんでくるようだった。
情景の話だけでないよ。主人公にも、僕の子供のころをダブらせてしまった。
主人公は、病気がちで、女の子と遊ぶような、ちょっと引っ込み思案って感じの子。僕もね、病気がちではないけど、めちゃくちゃ元気なほうでもない。年に1、2回は風邪を引いて、病院に連れられていた感じかな。
それと弱虫系だったしね。学校の、注射なんて怖いのなんのって。この主人公も、おばあちゃんに育てられていたけど、僕も母が働いていて、母の姉に住み込んでもらって、育てられた。おばあちゃん子みたいなもんだヨね。おばあちゃんに育てられると、そんな弱虫系、やさし系になっやうのかな?
井上靖の「しろばんば」に出てくる主人公の男の子も、そんな感じだった。ジャイアンみたいな、また運動神経抜群の活発な男の子に目が行くけど、子供の大半はどこか弱さをもってるのが普通なのかなって、いま、考えてみると思うね。
でも、こんな小説の子供は、大学、二十歳のころになると変身して、かっこよくなる。やっぱり、現実の自分とはちがうの・・?
とにかく、そんな感じで、子供のころの自分の体験した情景とダブって、小説の世界が脳裏にパーって広がるそんな小説でした。

ところで、国語苦手の息子の模擬試験を見ていたら、「銀の匙」が出ていた! 「それ言ったことか、読んでれば良かったのに」って言いたくなった。でも、我慢我慢だね。
自分で解いてみると、本を読んでいるためか、なんとなく前後のあらすじや全体の雰囲気がわかっていたので解きやすかった、ような・・。やっぱり読んでいると違うのかな?
それと、「この問題の文章の特徴は?」という問題で、「擬音・擬態語で情景を鮮やかに浮かびががらせている」が正解の選択問題があったのですが、これは間違った!
本の全体の感じは、そんな擬音が多い感じでもないような、でも、確かに情景は鮮やかに浮かび上がる。問題で選択された部分がそうなんですかね・・・やっぱり国語って難しい!!!
 

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2011年11月23日水曜日

美しい国へ


「・・美しい・・国へ」というタイトルを聞いたとき、個人的にはショックであった。
というのも、「美しい」という言葉が、私の建築研究・思考のひとつのテーマだったからである。
もう一つの理由が、政治家が、この不確かな、「美しい」という言葉を使う危さゆえである。

「美しい」建築でなければ、建築は決して残らない、長く使われない、と考えたのが、「美しい」を考え始めた、その理由である。
建築にとって、「美しい」とは最も古めかしいテーマであり『ローマ時代の建築家、ウィトルウィウスが著した、現存する最古の建築理論書「建築書(建築論、建築十書とも)」によると、用(utilitas)・強(firmitas)・美(venustas)を兼ね備えることが求められる』wikipediaよりとされ、西洋建築史の桐敷先生の授業でもそう習った記憶がある。
しかし、近代建築においては、用・強に徹することが、美を生み出す、とされた。すなわち、計画と構造・ディティールに徹すれば、生みだされる建築は、美しくなるのは必然である、とも解される。
その後、ポストモダンのモダンのムーブメントは装飾の復権であろう。デ・コンストラクションは、規定の構造の見直し。プログラミングなどの考え方の潮流は、計画の見直し、経済的視点の導入と解されまいか。環境配慮の建築もひろい意味では、計画の一環である。近年のPCによる複雑化・曲体の建築は、また、別の範疇に・・新たな潮流ではないかと思うのであるが・・これは別に良く考える必要があるように思う。
いずれにせよ、現在でも、実務に入ると、「用・強に徹することが、美を生み出す」という考え方は絶大である。設計者側にのみ絶大なのではなく、発注者・施工者に絶大な支持があるのである。

そして、その近代の思想によって生み出された、現代の建築・都市が、現在美しくなったか?といえば、答えはノーではなかろうか。
東京を見渡せば、高層ビルが見事に乱立する。朝日新聞の音楽展望で高層ビル群を墓標である渡渉していたのを思い出す。
(改めて調べてみると「だが、ここ、東京・六本木の高層ビルからの眺めは、私にそれを許さない。この醜悪な茸の群れのような建物の墓石が私の前に立ちふさがっているのだ。」音楽展望 吉田秀和(朝日新聞20/07/2009の記事)
地上に降りて、そのビルを見上げてみると、石・ガラスという高価な材料が不断に使われているのだが、どこか薄っぺらい。
地方に目を向ければ、商店街はシャッター街ばかりで、幹線道路沿いは看板建築のオンパレード、住宅街といえばこれまた、メーカー住宅と分譲住宅の軽るーい住宅が立ち並ぶ。せめて公共建築はと目をやれば、これまた都会のビル建築と変わらぬ高価であるが薄っぺらい、全国どこも金太郎飴だ。
悪口ばかりだが、近代建築の美しい建築も多い、しかしながら、作られた全体像としては、決して美しい街・建築とは、到底言えないのが実体であろう。

そのように考えると、「美しい」とは、「何か」から問い直さねばならないのである。
とりあえず、インターネットの検索見ない時代、ヘーゲルの「美学講義」あたりから、「美」をテーマにした本をとぼとぼ読み重ねてきたのであるが、・・皆さんのご期待通り、やっぱり「よくわからない!」。そんな明確な答えはない。以前より、建築をテーマにぼんやり自らの美しい建築とやらの像見出しているような気はするのだけれど・・。
だから「美、美しい」というのは人類にとって永遠のテーマなのであるのだと。

そこで、政治家 安部晋三の「美しい国へ」である。
私は、具体的な国土政策として、「美しい」国土を動作るかという、建築・土木・経済にも踏み込む、提言の書かとも、早合点した。
さらに、保守本流、過激に言えば右派本流の安部晋三が、「美しい」という使うと、どうも太平戦争当時、「美しい日本のために」といって動員された兵士(体験がない世代だからその日本軍の宣伝映画でによって、たぶん記憶に結び付けられているのであろうが)を想像し、どうもこの本に対するアレルギーが出てしまっていた。
そんなことで、興味はあったが、この本から意図的に避けていてしまった。といって、出版が2006年(平成18年)であるから、すでに7年も前、例によって、古本屋さんで並んでいるのを見て読んでみようかなと。
これが、この本を手に取ったきっかけである。

(前段が、ながくなってしまった!これから本論?)
読んでみると、まったく、期待したものとは外れていた。
「美しい」という言葉が出てくるのは、ただ1ヶ所。最後ページ、「私たちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化をもつ国だ。そして、まだまだ大いなる可能性を秘めている。」(p228)。
前段は、祖父岸信介の思い出と本人の体験に基づきながら、彼の系譜と国家像・日米同盟と、保守本流のお決まりの話が続く。そして中国・アジアの現状解説。後段は、サッチャー・レーガニズムを基礎とし、少子国家像として年金の話と、旧来の家庭の再生を基本とした教育再生の話というところか。家庭の再生も観念論で、新鮮味がないような・・こんな話はPTAに関わったことでで飽き飽きしている。
年金では、「年金一元化で官民格差をなくす」と、教育では「競争がフェア」な社会と「再チャレンジ可能な社会」が、目を引くところか。といって、いまや新機軸でもないと思いますが・・。
と、いう感じで、イメージ・私の思い込みは見事に裏切られたのです。

安部内閣が発足当時、テレビの討論会などで、首相の日本の設計図として、この本をテレビキャスターも一緒になって、持ち上げて議論・宣伝していたよう記憶があるのですが、なんだったんだろう?って思ってしまうのです。
なぜって、そこには具体的な提言は、ないといってもいいんじゃないかな。つまり、組織をこのように変えてとか、制度をこの目的のためにこのように変えてとか、見えないのですから。

小選挙区制によるポピュリズムの上昇気流にうまく乗った小泉政権に続く内閣として、発足した安部政権。いま、読み直すと、あまり深いことには関わらず、なにやら、ポピュリズムを意識した著作のようにも思える。

蛇足、政治家本
政治家の書いた本を私の書棚から探すと三冊。

新・都市土地論 菅 直人 1988/12  
日本改造計画 小沢 一郎 1993/5/21
小さくともキラリと光る国・日本 武村 正義 1994/01

これらは、私が勤め始めて数年の頃、政治家の本が少しはやった時期かと思う。田中角栄の日本列島改造論を除けば、政治化が本を書くなんてしなかった頃、ちょっと私にとっては鮮烈であった。
なぜかって、著作で自分の国家のビジョンを描いてそれを説く。それって、すごくすばらしいことと思えた。国会の方便や、演説だけでは、全体像なんて、よくわからないじゃないですか。政治家なら国の設計図をきちんと提示すべきでは、ってね。
建築家もそうあらねばならぬ!なんて、思ったりした。今でも、そう思ってるんですけど。
そして、今思えばバブル経済絶頂期なんですね。
はじめの著者 菅 直人は、首相まで上り詰め、無能者扱いをされて降りてしまった。その真の評価は、歴史にゆだねるか、ゆだねるまでもないかは・・どうでしょう。
そのタイトルは「新・都市土地論」土地が高騰したバブル期で、タイムリーなテーマといえばタイムリー。しかし、・・首相になって批判されてのは「市民運動化上がりで、ビジョンが見えない」ってことだろうから、テーマが確かに国家の設計図としてはあまりにも狭すぎで、今を暗示していたかもって。
次は小沢 一郎。裏金・献金、寝業師というダーティーなイメージいまや定着しちゃった。でも、小沢氏を押す声があるのは、やっぱりこの一冊「日本改造計画」なんじゃないかと思う。
題名からして師匠の日本列島改造論の延長上にあるのかも知れないが、国の目標・方向性を示して、機構・組織・制度をどのように変えたいのかまで、踏み込んでいる。いま、読み返してみると、提案されてた小選挙区制は実現したが、結果は失敗しているようにも思えるし、機構・組織・制度も今ひとつはっきりしていないようにも感じる。
でも、全体像を示した上で、明らかに機構・組織・制度まで、言及した本は見られないのではないかと思う。だからこの「日本改造計画」を読むと、「改訂・日本改造計画」でも書いて・・なんて思う。
武村 正義「小さくともキラリと光る国」も、当時国民総中流時代で、経済が強くとも、政治的には閉塞し、全てが扁平だったような時代に、このタイトルは魅力であった。

ポピュリズムに迎合せず、骨のある本を出す人がいてもいいのじゃないかな。・・いまやそんなの売れないか?



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2011年11月20日日曜日

宇宙船地球号操縦マニュアル


「宇宙船地球号」というタイトルそのものが魅力的だ。宇宙飛行士になりたい子供に「そんな必要はない、君自身が宇宙飛行士なのだから」という、どこかの解説が頭にこびる付いていた。そんなフレーズはどこだろうと探してみると。
たぶん『私はよく、「宇宙船に乗ったらどんなだろう」と言うのを耳にする。しかし、答えはいとも簡単。「今、どんな感じだい?」だ。みんな経験しているじゃないか。私たちはみんな、宇宙飛行士なのだ。』(p045-046)であろうか。
そして、すぐ前のフレーズで「私は宇宙の進化を重視して、私たちのうぬぼれや近視眼や偏見や、そして無知一般から、自分たちを解き放つことが極めて重要だと考えている。」と、なぜ宇宙船地球号の宇宙飛行士と考えることが重要であるかを説明している。
そう、包括的・全体的・総合的思考が、この本の底流の思想ではないかと思う。
上のフレーズの前段では「いまや人間は、専門家としては、コンピューターにそっくり取って代わられようとしている。人間は生来の「包括的な能力」を復旧し、活用し、楽しむように求めれれているのだ。「宇宙船地球号」と宇宙の全体性に対処することが、私たちのすべての課題になるだろう。」(p043)とか、
上のフレーズの次章では「建築家とか計画家、とりわけ計画家は、専門家と位置づけれれてはいるものの、ほかの職能より多少は広い視野をもつ。・・・・だから、計画家の役割を引き受けて、できるだけ大きく、包括的な思考をはじめるのが、私たちにはふさわしいのである」(p050)など、
建築家・計画家への包括的思考のアジテーションが仕込まれているのである。
フラーの包括的思考の結果、「宇宙船地球号」のエネルギーの考察は、きわめて先見的だ。
p091では「太陽から貯める何十億年もかかった化石燃料を燃やして、そのエネルギー貯金だけに頼って生きるのか、あるいは地球の原子を燃やして私たちの資本を食いつぶして生きるのか、どちらにしても・・・無知、そして完全に無責任というものだ。」とある。前段は地球温暖化の問題、後段は福島原発事故の予言?
さらに宇宙船地球号のエネルギーに関してして、「太陽からの放射や月の引力が生みだす潮汐、風、降雨といった脈を打って生みだされるエネルギー(が)・・この「宇宙船地球号」の上に準備されてきたものだ」(p128)として、自然エネルギーの利用を前提としたうえで、
「私たちが原子炉からのエネルギーにもっぱら頼りん、自分たちの宇宙船の本体や装備を燃やしてしまう愚さえ犯さなければ、「宇宙船地球号」に乗った全人類の乗客が、お互いに干渉し合うこともなく、他人を犠牲にして誰かが利益を得たりすることもなく、この船全体を満喫することは十分現実可能なことだとわかっている。」(p128)としている。
福島原発事故で、宇宙船の日本部品の一部を焦がし、その後のエネルギー議論をかんがえると、フラーの予言はまさしく的中とも考えられまいか。
フラーの包括的思考は、経済的視点、富と価値にまで及ぶ。
実は私も、建築の設計で、その価値、もしくは何を要求されているのかを考えると、経済的視点、経済システムになかでの建築の立場にも興味を覚え、経済本も素人ながらチョコチョコかじっているのであるが、フラーがここでしっかりしているのには、合点がいった。
「私たちの経済会計システムは非現実的にも富を物質としてしか考えていないし、ノウハウは給与としてしか記帳されない。だから富の本質に関して、ここで私たちがお互いに発見しつつある全てのことは、共産主義でも詩品主義でも、社会にとってまったくの驚きなのだ。
・・・反エントロピーとしての富はシナジーを通して福利を生むが、そんな成長はこの地球上のどんな政治経済システムであれ、いまだまったく勘定にいらられていない。
・・・小額の特許権使用料は例外になるが、通常そんなものは無視される。発明の価値とか、ある製品が他の製品を補って、そのチームワークが膨大な利益をもたらすというような、そんな製品のシナジー的価値とかはまったく評価されない。」(p099-100)
このような富と経済に関する主張は、ここだけではない。この本全体にちりばめられ、「建築家・計画家への包括的思考のアジテーション」の主張の底流ともう一筋の底流をなしているとも見える。
確かに共産主義で言えば労働価値説が、思考・アイディアの価値を認めず、労働時間にのみ労働の価値を置いたことが、そもそもの失敗の原因であろうし、一方、資本主義では、限界効用論が思考・アイディアの価値を、価格(価値)へと変換できるという前提ではあろうが、実際は、生産の上流での思考・アイディアの価値は、フラーの主張の通りほんのわずかであり、製品・物となった時点で、初めてその物に近くに関わった人に集中的に利益が配分されているのが、いまの世界経済ではなかろうか。
「設計」とは、その生産の上流での思考・アイディアの価値であり、その価値の評価が惨憺たる現状が、私のフラーの富と価値への主張のシンパシーを感じる理由なのだと思う(凡人は、やはり下世話なのですが・・)。しかし、フラーは、さらに、思考・アイディアが、システム化され互いに組み込まれることにより、福利的に価値・富は増大し、「宇宙船地球号」を救う富となるのだと・・
しかし社会が専門家・高度化が進む現在、フラーは、どのような領域を網羅し、総合てき思考をしたのか。
第6章シナジーの冒頭「では、トポロジー、ジオデシックス、シナジェティクス、一般システム理論、そしてコンピューターが使うピッティといった強力な思考道具を使って、現在の世界が抱える問題を取り組んでいくことにしよう。」(p077)
何のことややら、さっぱりわからない。
巻末の注釈では、フラーの著書『ユートピアか、忘却か』(1969)にあげてある、デザイン・サイエンスのカリキュラム案の11項目、1972年公表の「デザイン・サイエンス・インスティチュート設立計画案」研究対象の6分野があげられていて、・・到底無理なのは目に見えている。
それならば、「建築家とか計画家」は、専門家に徹し、全ては、共同作業のひとりとして徹し、結果の全ては現在の市場原理のお任せすれば良いのであろうか。
それでもフラーは最後まで主張する。
「世界で対立する政治家たちやイデオロギー・ドグマの袋小路が増えつつある今、一体どうやってこれを解決したらいいのか、・・・それはコンピューターによって解決される。」(p138)
「そう、だからイニシアティブをとるのは計画家であり、建築家であり、技術者なのだ。仕事に取り掛かって欲しい。とりわけ共同作業して、互いに抑制し合ったり、他人の犠牲で徳を得ようのどとはしないで欲しい。そんな偏った成功は、ますます先の短いものになるだろう。」
政治までもコンピューターが解決するとでも言うのか!でも待て、インターネットによるアフリカの革命の動きなどは、あながち、間違ってたとでもいえないのではあるまいか。
このところ建築家・計画家は、どうも専門家になりすぎているのではなかろうか。1960-70年代には、都市を語っていた建築家は、そこから総員撤去。代わって訪れたポストモダンの潮流は、歴史的形体を引用した形態操作と内向きの、思考形式となってしまった。その上、計画すること自体が罪悪というべきものとなり、建築家は、計画自体も、他者に全てをゆだねる事態となったように思える。他者とは、民意や顧客満足(カスタマー・サティスファクション)であり、背後に隠れた計画専門集団である。
ポストモダン以降も、デコンストラスションのムーブメントなど、いくつかのムーブメントがあり、現在に至っていると思う。しかし、そのポストモダンのコラージュ手法自体は変わらず、形体操作の対象が、歴史的建造物から、もっと身近な近代建築・現代建築・この直近の建築へと移行しとだけで、形態操作によると内向きの自己満足的・日和見的思考形式は、変わっていないのではないかと思う。
しかし、コンピュータが目覚しく発達し、PC内で作成される仮想現実のプロジェクトが、自由にかつ、よりリアルに表現され、様々なツールが提供されつつある今、建築は変わろうとしているのではないかと思う。
とりわけここに及び、海外の建築家の設計した建築形態・アニメーション・cgを見ていると、コンピューターのモデルによる可能性がどんどん開けているように思える。
今、「建築家とか計画家」は、アイディアを、コンピューターを駆使して、総合的に再構築し、提案するという、本来の「建築家とか計画家」の職能を、再び発揮するときではなかろうかと思う。
そこには、また、さらに上を行こうとする超専門化集団の壁が立ち並んでいるであろうが、生来の「包括的な能力」を復旧し「建築家とか計画家」は、立ち向かうべき時と思うのである。

追記
薄い本であるし、もっと簡単に書こうと思ったがつい長くなってしまった。
「宇宙船地球号操縦マニュアル」というタイトル自体が、子供にも受けそうな、魅力的なタイトルだ。中学生の塾の推薦本にも取り上げられていたりして。とりわけ男の子なら言葉自体にわくわくします。
読んでみると、内容は深い。っていうか、いろんな切り口から読むことが出来るのではないかと思うのです。
フラーの本は「テトラスクロール」しか読んでいないので、まったくえらそうなことはいえませんが、・・フラーの視点があまりにも広いので、この本について、書こうとしたら、まったく悩んでしまった。
で、もう一度、読み直して、今の僕の視点で、切り込んで書いてみました。いろんな視点から、切り込んで読める本ではないかと思います。


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2011年9月13日火曜日

肩ごしの恋人


この本は、1年ほど前に読んだ。
くそまじめな本ばかりを読んでいると、たまには、さらっと読めるのを読みたくなる。恋愛もので、ちょっとエッチなやつ。ついでに直木賞で、女心も見てみたい。
なんて、これを手に取った。
1年たって、そうだコメントを書こうと思って、本を手に取ったが、セックスもさらりと何箇所も出てきて、恋愛話って言う残像が頭に残っているだけで、ストーリー、印象的な描写も全然思い出せない。背表紙の簡単なあらすじを読んでもしかり。
私が得意な小説健忘症だ。
改めてパラパラ斜め読みして、ようやく思い出してきた。3回離婚女「るり子」と若干まじめ型の「萌」の恋愛のお話。相方の元彼と関わったり、セックスもたびたび出てきて、ゲイも加わり、高校生も加わる。収入は、ほどほどあり、都会で外食・買い物と自由に暮らすお話あり、最後は「萌」が高校生の子供を一発で身ごもり、ひとりで育てる感じになる。
まあ、おいらには人間関係が複雑すぎるわね!!最初に読んだときは、ストーリーの展開にどきどきして、一気に読んだのを思い出した。
読み直すと、女性の長ーい噂話をずーっと聞かされている感じになったちゃったよ。適当に恋愛があって、こんなのもチョイあこがれる感じもあるけど、もてない男にとっては、話がリアルと非現実の中間あたりをプラプラしている感じがあって・・これが女性の長ーい噂話って感じにしてるかも。
これ男目線と、人の心情が理解できないタイプの考えかもしれないけどね。・・でもこのパターン、最近の女流文学のパターンって感じないかな??
1冊しか読んでないのに・・こんな事言って、すみません。



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戦艦武蔵

このブログも随分ご無沙汰です。
一年前、実家に帰って、暇に任せて父の書棚から、本を探り 書き込んだのであるが、今回もこのパターンで・・。
東北大震災もあり、春の帰省をしていなかったこともあり、しばらくぶりの帰省であった。同様、本棚を見て目にとまったのが、この本「戦艦武蔵」。
前職の設計事務所に勤めていたとき、上司と設計の話をしていたとき、この本が出てきたのを思い出した。・・確か、設計の分担方法、つまり設計をどのように分割して作業するかという、話していた時の過程で、出てきたような・・記憶は定かではない。
まあ、それと子供のころ、友達の家に言って、戦艦武蔵のプラモ(1/700 ウォーターラインシリーズ No.114 日本海軍 戦艦 武蔵 31114 )を見て、大和とどんなに違うのであろうとも、思ってこの本を手に取る。
最初から、全国から棕櫚の縄が消えていることから入る。意外な展開で・・でも、すごく小説らしいつかみ。他の書評を見ていると、よく知られるところのイントロらしい。
一瞬、もやい綱とも思ったけどそんなに多くはないだろうし、碇を吊るロープ?バカな、それって巨大なチェーンだったような。実は、建造中の武蔵を外部から見えないように隠すためのシートをためで、棕櫚の原料を買って、さらに棕櫚ロープの製作機械まで買って、さらに棕櫚を編みこみ作ったという。そういえば、覆いのかけられた建造中の武蔵のイラストを子供のころ見たのを思い出した。
ところで大和と武蔵の違いって、1番艦と2番艦だって。つまり、武蔵は大和のまったくのコピーらしい。呉海軍兵工廠(軍直営工場)で、大和を作り、その設計図をそのまま三菱重工業長崎造船所に持ち込み作ったらしい。厚さ40cm(?確か)の鉄板やら他の材料、砲塔砲身も、呉海軍兵工廠から支給され、まったくのコピーのようだ。船って、どんなに大きくともコピーして作れるんですね。それだけ海って広くて制約がないってこと?
それに比べて建築きたら、住宅でさえコピーできない。そういえば一つあった!日建設計の千葉ポートタワー(1986年)福岡タワー(1989年?)秋田ポートタワー・セリオン(1994年)は同じジャンと思っていたら、よく調べてみると違いました。平面形状が、ひし形、三角形、星型と、違っていました。広い敷地にぽつんと建つタワー建築でも違うんですね。
戻って、大和と武蔵の違いは、官営と民営の違い。
それと、作り方の違いがある。空掘りドック(乾ドック)と船台式ドックがあって、呉海軍兵工廠は前者、三菱重工業長崎造船所は後者。後者は地上の斜めの船台で作って、最後は一気に海にすべり落としちゃうと言う方法。馬鹿でかくて、止まらすぶち当たらないよぷにするにはどうするか、木製の船台は最後までたえれれるかなど、大和とは違う問題があったようだ。それに、造船所の地形の問題もあった。長崎は周辺が山で囲われ、よく見える。そこには住宅地が形成され英国の公館もあると言う。その上で巨大戦艦のの建造を隠し秘密とでよ!と言うのだから海軍の今考えると尋常ではない。
これを解決したのが、ガントリークレーンを利用して棕櫚製のスクリーンを取り付けることであった。わらや布など様々な材料でも試したようだあるが、風圧・耐久性・防炎性能を実験し棕櫚縄を選択。これで、冒頭の棕櫚の話が見えてくる。さらに作る前の話では、戦艦受注まえの、さらにその戦艦の仕様が機密で、なにやらとてつもない戦艦のようだという話の段階で、ドックの基礎を補強し、岸壁を整備するのである。ここまでしないと役所の受注は取れない?これは、いまも変わらないのかもしれない。
いかに作るか、と言う執念。これは、建築で言えば、ゼネコンの本領発揮の部分であり、ゼネコンの本分でもある。ここら辺は、日本産業界の伝統的強みなのかなとも思う。
変わって、設計の話に目を向ける。
設計そのものの記述はあまりない。武蔵は大和のコピーなので、設計の話となると大和の話となるから当然なのでしょうが。しかし、軍縮会議で艦船の製造中止が決まり、建造中の土佐が、砲撃標的実験の的となり、その実験の結果、海中部分の側壁を厚さ40cmの鉄板とした話には、鉄板の厚さ自体が驚きであったし、廃棄艦をただくず鉄とせず実験体として利用して、その成果を出していることには、なるほどと思った。また、防水隔壁も細かく作られ、一つの隔壁が破壊されても注水のよるバランスが取れるようにしてあったり、スクリュー・舵を放して設置し、一つが壊れてももう一つが生きるようにデザインされいする。さらに、巨大主砲の風圧に甲板上のものは耐えてないため、付随する小型艦艇・偵察機は船体内部に格納されていたり、甲板上の銃器は風圧シールドが取り付けられていたりする。
設計上は誰をもうならせる当時の設計なのだろうと感じた。かつて作ったプラモを思い出し、なるほど!って。
しかし設計の記述の多くは、いかに設計の機密を保持するか。呉から送られた図面は、所定の部屋から外には絶対出さないようにされていた。無論、製作で必要な部分の製作図は作成するのだが、全体がわからないよう作成され、それも厳しく管理・回収されていた。
そんな中、図面担当配属の優秀な少年が、その図面1枚を、単調でプレッシャーのかかる作業のなか、いたずら心にその図面1枚を廃棄してしまう。大問題となり、この少年は誰も知らないうちにこの工場を去らされたと言う。
そんな少年も戦争犠牲者なのであろう。私自身、公共建築に携わった祭、コピーやさんへ青焼きを外注したら、そこから図面情報が漏れたかもしれない、と言って、上司から大目玉を食らった経験を思い出した。こんな比ではないのだが、設計の情報機密の大切さを、思い出されたシーンであった。
そんなこんなで浸水、偽装・内装を終え、引渡し直前となるのであるが、ここからが民営の本領発揮らしい。
艦船、それも2番艦であるがゆえ、大和の反省も加え、多くの偽装変更が行われたようだ。変更は、艦船の特徴でもあるし、役所工事の特徴でもあるのかもしれない、とも思う。
さらに大和改良型ともなるわけで、大和の上位の仕様となり、冷暖房や内装の仕様が高級化される。ここら辺は、民間の得意領域だあることは、今も昔も変わらないのであろう。
これにより、武蔵が連合艦隊の旗艦となる。それが海軍の規定の路線なのであろうが・・。
海軍に引き渡された武蔵、ここで気になるのがそのお値段。今まで製造の過程を見ていると、今の視点で見ると、値段はあってないようなものに思える。準備工事費・改装工事費も膨大、むろん本体建造工事費も膨大であろう。ここで、三菱は、民間は利益を得るのが商売として、海軍を相手に、改装費用も含めて、しっかりいただいたようである。流石三菱!恐るべし三菱!
その後配備された武蔵はあまりにもふがいない。
トラック等に係留されてばかりである。『武蔵御殿』・武蔵ホテルと揶揄されたとされるが、高級な仕官室の内装・冷暖房完備を考えるとうなづける。他にも、動くと図体がでかいく、それだけ油を消費してしまうので、燃料が貴重な日本軍は、本当に有効な作戦以外は動けないと言いう、事情もあったようである。
とうとう出た最初の任務も、輸送が主な任務で、それも、甲板に積んでいた荷物が・・流された!んじゃなかったかな。
そして最後は、レイテ沖海戦で、大和と共に出陣。旗艦として、アメリカ軍に徹底的にマークされていたのだろうと思うが、最後は武蔵が徹底的に集中攻撃を受けたのだ。7回にわたるアメリカ空軍の攻撃に対し、空襲に備え改修で増設した高射砲のシールドを密閉し待ち受け、攻撃が始まると同時に一斉射撃、その静から動の描写は圧巻であった。その悲惨さ故にである。魚雷の命中によって浸水するも、防水区画を利用しポンプでバランスを確保し、また、前述の工夫された舵とスクリューの配置により機関室の一部喪失しても、ある程度の運動性能を確保して、7回もの攻撃に耐えてことは、設計の意図を十分発揮し期待通りの戦いぶりともいえるのかとも思う。
しかし、またもや残念なのは1回目の攻撃で前部主砲射撃方位盤故障により、主砲の一斉連続発射ができなくなった。結局、最後まで肝心の主砲は、航空機攻撃の効果は別として、ほとんど使うこともなく武蔵は最後を迎えたのであった。設計コンセプトであった主砲が、ほとんど使われずに終わる、なんともふがいない話ではないか。
ふがいなさでいうと、結局、大鑑主義と、航空母艦とその艦隊、レーダーシステムを含めた統合的運用がまったくできなかったことはに帰するのであろうが、こちらの詳細はは「失敗の本質」の方に詳しい。
ここで建築設計者の視点から見ると、武蔵の設計と艦艇製作力は、確かにすばらしい。一級品である。しかし、結局は、設計の前段の話し、「航空勢力の発達(後にはレーダーも加味しなければならないと思うが)により本当にこのような巨艦が必要だったのか」と言うことになってします。
設計の良し悪しもさることながら、その前段の、要求条件の整理で、製品の能力が決定してしまう。
いま大問題の福島第1原発であっても、想定外といっているが、結局どこまでを想定条件とする事としたかという問題であろう。どこまでを設定条件としたかにより、製品の性能はほぼ決まってしまうのだ。そして一度作ってしまうと、その設計前提条件を、根本的に変更するのは難しい。のらりくらりと設計条件を修正し、費用の許す範囲での修正しかできないのが、一般的であろう。原子力の場合、おいそれと原子力プラント事態を廃棄して、また作り直すこともできないので、さらに厄介なのだと思う。
「要求仕様の探求」こそが、重要であるのを改めて思い知らされる。「要求仕様の探求」の重要性は「要求仕様の探検学―設計に先立つ品質の作り込み 」(D・C・ゴーズ、G・M・ワインバーグ著)を是非おすすめする。
最後に書いておきたいのは、武蔵は沈没するも、沈没前に総員退艦命令がでて、実は2399名中、1376名が救出されている。艦長の冷静な判断があったように感じられた。しかし、生き残った乗組員は、フィリピンに配属される。一部は日本に送られようとするが船が撃沈され、フィリピンに残った将兵もマニラ市街戦で多くが戦死したという。生存者は結局、56名。
武蔵は、海軍で最も華麗な戦艦だあり、なんとも、痛ましい悲運の戦艦であった。そして、日本の戦い方を象徴する戦艦なのだろう。
この本は、読みやすくて、こんな僕でも2日弱で読了。歴史と設計のスタンスを改めて考えさせれれる1冊でした。・・感想文にしては長すぎ!!ですね。

 
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