今まで読んだことなくて。だって、小学校か、中学校の歴史で、福沢諭吉の「学問のすすめ」ってでて来て、もうそこで終りでした。
何でなんだろう。
理由1、教科書に出て来る古い本で終わっちゃう。理由2、「学問のすすめ」っていうタイトル自体に、嫌悪感。親から「勉強しろ!」って、言われてるみたいじゃないですか。・・そう、今、僕が子供に言ってますが。ここに、書いて思った!これやっぱり逆効果?・・理由3、なぜか教科書に「学問のすすめ」って書いてあっただけで、全部わかった感じがしてしまう。
こんな、理由でしょうか。
ところで、新聞の書評で、「特に後段は現代のビジネスにも通じる」と強く勧めていた。さらに、現代語訳でわかりやすいと・・。
で、いつものBOOK OFF購入。
読んで、確かに・・その指摘「頭痛ー!」痛いとこを突かれてばっか。
自らに反省のために、そこをメモると。
いきなり、冒頭から、
『・・・およそ心を働かせてする仕事は難しく、・・・だから、医者・学者・政府の役人、大きい商売をする町人、たくさんの使用人を使う・・農家などは、地位が重く、重要な人といえる。
・・・しかし、そのもとを見ていくと、ただその人に学問の力があるかないかによって、そうした違いができただけであり・・』p10
を言われ、ガツーン!これ「天は人の上に・・」の解説なのだが、前段に、社会の原理・構造をついているとこがすごいと思う。人の心にあまり興味がなかった、いや、今もその傾向にあり。最近「人の心」の重要さがようやくひしひしわかりだした僕にとってはガツーン!なのです。
さらに、そのもとが学問「の力」ってのがいいなー。学問だけだと、頭の良し悪しの尽きる感じだけど、「の力」って、広がりがあって、救われそう。
もっと、加えると、
「この事業は、国内の仲間と争うものではない。その知恵で争う、相手は外国人なのである」p134
・・・いきなり、国際化宣言。英語が苦手の僕としては、ガツーン!
「生計を立てるのが困難である、とは言っても、・・・早く金を稼いで小さなところで満足するよりも、苦労して倹約し、大成するときを待ったほうがよいのだ。」p137
・・・とはあるが、全体の印象としては、金儲けに肯定的で、現在の新自由主義的匂いも強い。そんな対極を、あっけらかんとした態度で、現実として受け止めているとこに、ガツーン!
他にも
「人生最大のわざわいは怨望」p171
・・・人には言えないけど、結構、ねたむ心があるんだよね。
「事業の成否・損得について、自分の心の中でプラスマイナスの差し引き計算をしてみることである」p180
・・・痛っ!決算書恐怖症!
「ひとところに偏らず、多方面で人と接することである」p229
・・・最近、内に入りすぎていた感が!
と、こんなところ。
拾ってみると、こららは、親切にも太字でまとめられていました。これは、原書も太字かな?それとも訳者斉藤先生の技?
やっぱ、慶応義塾大学の原点がここにあるのかもしれませんねー。どうでしょう。
ということで、若いときに読んでいたら、俺の人生も変わってた?なんて、思いました。
とりあえず、まだ、目標が見えきれず、いまひとつ受験勉強に身の入らない、高校生の息子に、薦めてみようかなって思います。
それと、座右において、たまに読み返して見ようかなー。
2015年1月12日月曜日
2015年1月7日水曜日
坂の上の雲
NHKのドラマの影響で読みました。
秋山好古、秋山真之の兄弟と正岡子規のお話的感じでしたが、呼んでみると雰囲気はまったく違っていた。
これは、上の3人の話ではなくて、日露戦争のお話ではないですか。
満州での戦争の陣地見取り図や、日本海海戦の船の動きの見取り図が、詳細に掲載されているし、これは完全に日露戦争の司馬風分析ですよ。
これだけ調べ上げられていれば、分析というより、日露戦争記録だと思うよ。
薄っぺらな日本の戦車に載せられた、なぜこんな太平洋戦争になったんだ!という執念を感じるよ。結局その原点は、日露戦争の頃から、生まれ、変容した結果なのだという、ことなんだろうね。
「大正と昭和はじめ生まれの両親は、「徐州 徐州と人馬は進む・・」という歌にあるように昔の人は苦労して結局死んでしまったとか、寒い冬に朝起きれないと「満州の兵隊さんを思え!」って、子供の頃冗談交じりに言われていた。
けど、この本を読むと、旅順攻撃では、投入される連隊・連隊が、次々と全滅し、それでも何の工夫も無く最強とされる確か北海道・秋田連隊も全滅だ。兵隊さんも単なる駒の一つとして、累々と重なる屍となるのが戦争なんだって、改めて考え直したよ。
「徐州 徐州と人馬は進む・・」の歌は、調べてみると「麦と兵隊」でした。軍歌にしては、悲しさを引きずる旋律で、Wiki を調べたら
『「ああ生きていた 生きていた 生きていましたお母さん・・・」という歌い出しの文句を書いた。ところが、軍当局から「軍人精神は生きることが目的ではない。天皇陛下のために死ぬことが目的だ」と大目玉を食らい、そこで、「徐州 徐州と人馬は進む・・・」という現行の歌詞に書き直した。』
ってあるから、「天皇陛下のために死ぬことが目的だ」って言うのが戦争って言うのを、両親は思っていたんだろうなって、思ったりもした。
「満州の兵隊さんを思え!」ってのも、満州の真冬の行軍なんかを読むと、明治の人は忍耐力・体力が桁違いだと思っちまうよ。これは、ポジティブに見習うべきことかもね。
と言うことで、教科書で日露戦争を習ったぐらいで、よく知らなかったけど、これを読むと、わかった感じがした。
近代から今の「日本のかたち」も、これが原点だったんだなって、納得しちゃいました。成功の原点でもあったし、失敗の原点でもあった。
ここで、司馬の人物評価で、案外だったのが、乃木希典。軍事的には「超ダメ人間」じゃないですか。
もう一人気になった人物評価が、日本で最強の大将と言ったら、源義経だって。
気になってしまって「殉死」と「義経」読むハメに。
秋山好古、秋山真之の兄弟と正岡子規のお話的感じでしたが、呼んでみると雰囲気はまったく違っていた。
これは、上の3人の話ではなくて、日露戦争のお話ではないですか。
満州での戦争の陣地見取り図や、日本海海戦の船の動きの見取り図が、詳細に掲載されているし、これは完全に日露戦争の司馬風分析ですよ。
これだけ調べ上げられていれば、分析というより、日露戦争記録だと思うよ。
薄っぺらな日本の戦車に載せられた、なぜこんな太平洋戦争になったんだ!という執念を感じるよ。結局その原点は、日露戦争の頃から、生まれ、変容した結果なのだという、ことなんだろうね。
「大正と昭和はじめ生まれの両親は、「徐州 徐州と人馬は進む・・」という歌にあるように昔の人は苦労して結局死んでしまったとか、寒い冬に朝起きれないと「満州の兵隊さんを思え!」って、子供の頃冗談交じりに言われていた。
けど、この本を読むと、旅順攻撃では、投入される連隊・連隊が、次々と全滅し、それでも何の工夫も無く最強とされる確か北海道・秋田連隊も全滅だ。兵隊さんも単なる駒の一つとして、累々と重なる屍となるのが戦争なんだって、改めて考え直したよ。
「徐州 徐州と人馬は進む・・」の歌は、調べてみると「麦と兵隊」でした。軍歌にしては、悲しさを引きずる旋律で、Wiki を調べたら
『「ああ生きていた 生きていた 生きていましたお母さん・・・」という歌い出しの文句を書いた。ところが、軍当局から「軍人精神は生きることが目的ではない。天皇陛下のために死ぬことが目的だ」と大目玉を食らい、そこで、「徐州 徐州と人馬は進む・・・」という現行の歌詞に書き直した。』
ってあるから、「天皇陛下のために死ぬことが目的だ」って言うのが戦争って言うのを、両親は思っていたんだろうなって、思ったりもした。
「満州の兵隊さんを思え!」ってのも、満州の真冬の行軍なんかを読むと、明治の人は忍耐力・体力が桁違いだと思っちまうよ。これは、ポジティブに見習うべきことかもね。
と言うことで、教科書で日露戦争を習ったぐらいで、よく知らなかったけど、これを読むと、わかった感じがした。
近代から今の「日本のかたち」も、これが原点だったんだなって、納得しちゃいました。成功の原点でもあったし、失敗の原点でもあった。
ここで、司馬の人物評価で、案外だったのが、乃木希典。軍事的には「超ダメ人間」じゃないですか。
もう一人気になった人物評価が、日本で最強の大将と言ったら、源義経だって。
気になってしまって「殉死」と「義経」読むハメに。
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