2015年1月7日水曜日

坂の上の雲

NHKのドラマの影響で読みました。
秋山好古、秋山真之の兄弟と正岡子規のお話的感じでしたが、呼んでみると雰囲気はまったく違っていた。

これは、上の3人の話ではなくて、日露戦争のお話ではないですか。
満州での戦争の陣地見取り図や、日本海海戦の船の動きの見取り図が、詳細に掲載されているし、これは完全に日露戦争の司馬風分析ですよ。
これだけ調べ上げられていれば、分析というより、日露戦争記録だと思うよ。

薄っぺらな日本の戦車に載せられた、なぜこんな太平洋戦争になったんだ!という執念を感じるよ。結局その原点は、日露戦争の頃から、生まれ、変容した結果なのだという、ことなんだろうね。

「大正と昭和はじめ生まれの両親は、「徐州 徐州と人馬は進む・・」という歌にあるように昔の人は苦労して結局死んでしまったとか、寒い冬に朝起きれないと「満州の兵隊さんを思え!」って、子供の頃冗談交じりに言われていた。

けど、この本を読むと、旅順攻撃では、投入される連隊・連隊が、次々と全滅し、それでも何の工夫も無く最強とされる確か北海道・秋田連隊も全滅だ。兵隊さんも単なる駒の一つとして、累々と重なる屍となるのが戦争なんだって、改めて考え直したよ。
「徐州 徐州と人馬は進む・・」の歌は、調べてみると「麦と兵隊」でした。軍歌にしては、悲しさを引きずる旋律で、Wiki を調べたら
『「ああ生きていた 生きていた 生きていましたお母さん・・・」という歌い出しの文句を書いた。ところが、軍当局から「軍人精神は生きることが目的ではない。天皇陛下のために死ぬことが目的だ」と大目玉を食らい、そこで、「徐州 徐州と人馬は進む・・・」という現行の歌詞に書き直した。』
ってあるから、「天皇陛下のために死ぬことが目的だ」って言うのが戦争って言うのを、両親は思っていたんだろうなって、思ったりもした。

「満州の兵隊さんを思え!」ってのも、満州の真冬の行軍なんかを読むと、明治の人は忍耐力・体力が桁違いだと思っちまうよ。これは、ポジティブに見習うべきことかもね。

と言うことで、教科書で日露戦争を習ったぐらいで、よく知らなかったけど、これを読むと、わかった感じがした。
近代から今の「日本のかたち」も、これが原点だったんだなって、納得しちゃいました。成功の原点でもあったし、失敗の原点でもあった。

ここで、司馬の人物評価で、案外だったのが、乃木希典。軍事的には「超ダメ人間」じゃないですか。
もう一人気になった人物評価が、日本で最強の大将と言ったら、源義経だって。
気になってしまって「殉死」と「義経」読むハメに。
    

0 件のコメント:

コメントを投稿