クリストファー・アレキサンダーは、学生のころから気になる建築家・都市計画家・理論家だ。
大学院での加藤研究室では、"Pattern Language","The Linz Cafe"の原書の読書会が定例であった。加藤先生は、「優しい英語で書いてあるから読みやすいよ」とは話されていたが、語学が大の苦手である私は、興味があるけど、しんどいのであった。
当時の助手は、いまや東大の教授の西村先生。当時は町並み保存の研究をされていて、西村先生も付き合っていたけど、アレキサンダーの理論は、町並み保存を生かした町づくりにも有効な手法と考えれれていたと思う。
僕にとって、アレキサンダーの魅力とは、デザインそのものを論じているのではなく、デザインの手法、デザインのプロセス、デザインの構造・成り立ちを論じていることにある。デザインのうまい・下手、デザインのスタイルなどはどうであれ、あるデザインの手法・プロセスを経ることで、ある構造・デザインのシステムが組みあがる。
その構造・システムが、共有する「美しさ・心地よさ」を生み出す。逆に、共有すべき「美しさ・心地よさ」をもたらす、構造・システムを考える。そのような視点がアレキサンダーの魅力ではないだろうか。
そこで、私の読んだアレキサンダーの著作の書評・感想文をと思ったが、その著作は結構多いので、その前に氏の著作の一覧を整理しておこうと思う。
<初期の著作>
- コミュニティとプライバシイ (SD選書 11) Community and Privacy: Toward a New Architecture of Humanism 1963
- 形の合成に関するノート Notes on the Synthesis of Form 1964
- 建築はツリーではない 1965(次のURLで公開) http://www.patternlanguage.com/leveltwo/archivesframe.htm?/leveltwo/../archives/alexander1.htm
<環境構造センターのシリーズ>
- オレゴン大学の実験 (SD選書 128) THE OREGON EXPERIMENT 1975
- パタン・ランゲージ―環境設計の手引 A PATTERN LANGUAGE 1977
- 時を超えた建設の道 THE TIMELESS WAY OF BUILDING 1979
- The Linz Cafe 1982
- THE PRODUCTION OF HOUSES 1985
- まちづくりの新しい理論 (SD選書) A NEW THEORY OF URBAN DESIGN 1987
- THE MARY ROSE MUSEUM 1995
<最近の著作 環境構造センターのシリーズ>
THE NATURE OF ORDER: FOUR BOOKS:
- BOOK 1: THE PHENOMENON OF LIFE
- BOOK 2: THE PROCESS OF CREATING LIFE
- BOOK 3: A VISION OF A LIVING WORLD
- BOOK 4: THE LUMINOUS GROUND
<初期の著作>は、実は先端デザイナーから注目を集めていたらしい。「建築はツリーではない」は論客・磯崎の本でもちょくちょく言及されている。ピーター・アイゼンマンも「形の合成に関するノート」を指導教授から「こんな凄い論文がある」と、叩き付けれれたとかどこかで読んだ。
<環境構造センターのシリーズ>は、ひとつのピークであろう。特に「パターンランゲージ」はその最も高き峯であろう。しかし、建設業界・デザイナーからは、大きな溝を抱えることになる。
<最近の著作 環境構造センターのシリーズ>は、私の未知の領域であるが、サイトで見る限りは、計画手法から、視覚的デザイン領域に踏み込んだように思える。時間があれば読んでみたいものである。
ここで、アレキサンダーの思考に欠けていることがあるとすれば、欲望としての建築・建設に視点。資本主義経済成長の道具としての建設行為としての視点であろう。彼はあえてそうしているのだろうが・・
しかし、あえて批判的に考えると、そもそも人は、「美しさ・心地よさ」を求めて建設・建築を求めているのだろうか。
現代資本主義社会で、求めれれる最終目標は、欲望。欲望を、夢と言えばカッコがいいが、夢とは、自己実現への欲望。つまり、自己評価の最大獲得が、最終目標である。さらに自己評価の最大獲得は、金(貨幣)に置き換えられる。つまり建築・都市は、金(貨幣)で評価される自己評価の最大獲得の手段でしかないのではないかという疑念である。
さらに、現代資本主義社会では、建築都市は、単なる資本主義経済循環のための商品に過ぎなくなっている。消費を促す程よいデザインが唯一の目標である。特に、日本では、造っては壊す日本式建設業の体質が、社会的・文化的・知的財産の価値も含んだ資本のストックの形成ではなく、建築都市であっても耐久消費財であり、経済循環のための道具でしかない。
このように考えると、アレキサンダーの社会的要求と定義した「美しさ・心地よさ」は、社会の要求・目標ではなく、社会の共同幻想にもなっていない。このような点が、アレキサンダーの理論的面白さ、社会思想的意義は感じるものの、特にグローバル化が進んだとされる近年、広く一般社会に受け入れられない点ではなかろうか。
こんなことを書きながら、あらためてウィキペディアで、アレキサンダーを探し、そこから「パターン・ランゲージ」のサイトを見つけて、入ると、凄い。
登録すると、パターンランゲージの詳細が見れたリ、解説もびっしり、こんなこと書かなくとも、概要・それ以上のことがばっちり。
盈進学園の写真もあったりして、完成当時訪れて、感激したのを、思い出しました。その頃も、デザイナーからはモダンデザインではない盈進学園は、やはり見向きもされない・・でも、空間構成に僕は引かれたのを思い出すのです。
そして、このサイトを眺めていると、このような路線もありかな・・と思うのでした。
ぜひ、サイトを眺めてください。写真だけでも面白いですよ。
アレキサンダーの思考過程・人生を考えると、それにダブル建築家がいる。イワン・レオニドフ!(Ivan Leonidov: The Complete Works)
ロシア構成主義の建築家。まったく違う!!と叱られそうですが、先端からデザインが大きく変わるその思考過程は、僕には、どうしてもダブってしまう・・・詳しくは機会があれば。
ロシア構成主義の建築家。まったく違う!!と叱られそうですが、先端からデザインが大きく変わるその思考過程は、僕には、どうしてもダブってしまう・・・詳しくは機会があれば。
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