著者 : 保阪 正康
訳者 : -
整理番号 : 1035
分類 : 文学・評論 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:918286
amazonで見る(右タイトルをクリック)) タイトル:東条英機と天皇の時代 (上) 軍内抗争から開戦前夜まで
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ヒロシの書評:
「小説 田中角栄」-1.青雲編を読んで、続編があるかと思えばない。また父の本棚に眼をやると、今度はこの「東条英機」が目に入ってきた。
東條英機と言えば、太平洋戦争の主犯で「A級戦犯」。まあ、僕らの世代からすると、すでに歴史の人ではあるが、悪の権化のイメージが一般的であろう。
ところで岩手の人の自慢で、歴代総理大臣の出身県というのがある。「最も多いのは明治維新の主導地域長州の山口県で8人であり、東京都が5人、岩手県が4人で続いている。戦後は群馬県が4人で最多である。「歴代首相出身県」というのであるが、戦中派の人はこれに東条英機を加えて5人としてしまう。父が岩手だから・・と聞いていたが。
この東條を除く4人を見ている総理大臣の欲がありありで総理大臣になったイメージではない。米内光政の伝記でも、なりたくてなった感じでもない。鈴木善幸にしても、角副戦争が大平正義が総理につくが、急死を経て、総理の座が転がり込んできた?やらざる得なかった、とイメージが子供ながら思った。東條にしても本当に自らが、先頭で回線への旗を振ったのであろうか?そしてどんな人物であろうか?そんな思いから、また読み始めてしまった。
読み始めると、これがなかなか面白い。
僕にしては、詳しすぎて・・たいへんなのですが・・印象的なことをいくつか上げると。
まずひとつに生い立ちと勉強方法の開眼。
先祖は南部藩に仕えた矧y師。(えっ矧y師?って感じですが・当時は知的回想だったのかもしれません。)南部藩のお家騒動と明治維新の中、父英教は生きる道を求めて軍隊に。父は秀才で陸軍中将まで出世し、陸軍きっての理論派なるが、長州閥との対立・濫ニして左官される。父が出世できなかった無念の思いが子英機に託され、軍隊一筋の教育環境にあったようである。
ところが英機は父ほど秀才ではなかったようで、苦労したようだ。ところが幼年学校か士官学校のあたりで「丸暗記」という勉強方法を習得する。教科書をそらんじるほどに暗記する。この方法で成績が見違えるほどアップ。これで東條英機の出世の道が開けたようだ。メモ魔東條、カミャ鞄捲鰍烽アの辺りが原点ではなかろうかと思った。
次に原理主義者ってこと。
もちろんイスラム原理主義社じゃないよ。天皇原理主義、明治憲法原理主義、軍人勅語原理主義っていうか、東条英機にそんな感じのイメージを受けた。「丸暗記」を征服した東條は、「軍人勅語」も完璧に丸暗記して、相手を論破するのに「軍人勅語」の一節を用いて、相手を打ち負かしたという。(いま手元に本がないので、記憶があいまいなのですが・・)このような手法・思考方法が東條の骨格となっていったように思います。
軍人勅語を、明治憲法、軍隊の天皇輔弼の原理、帝国国策遂行要領に当てはめ、決められて物がこうであるから、そう実行しなければならない、そう実行せねばならぬ、という思考。そのような考え方が、底流にはあったように感じました。軍人として教育され、それが当然、まじめな考え方で正義であるともいえると思います。(私の立場で考えると、建築基準法は守るのが当たり前、法律の内容は全て正しい・・と考えるように・・)
しかしそれは一方で、偏狭な思考となってしまったのではないかと思うのです。・・ウーン、当時の最高の頭脳が考えていることですから、偏狭というより、責任を原理そのものに投げてしまう思考がどこかにあったように思うのです。
その次に政治の体制・組織についてです。
今でも内閣総理大臣は内閣の取りまとめやら、党内の取りまとめやら、組織維持には大変そうです。でも、明治政府のトップの組織はもって煩雑って感じを受けました。今と同じ内閣と内閣総理大臣がいて、その上に天皇がいる。さらに、軍部が強力な力を持っていて、総理大臣が嫌われて、軍から陸軍大臣・海軍大臣を出さないといったら、内閣は作れないといった感じ。軍は天皇を輔弼する役目があって、総理大臣抜きの天皇とのパイプがあるような。
さらにさらに、陸軍も海軍も、陸軍省・海軍省という政治的部署と、参謀局(陸軍は参謀本部・海軍は軍令部)という実際の部隊率いる部署に分かれていて、これも結高ネ駆け引きがある。実際の軍を率い、落Zの金も握り、もともと輔弼は参謀局に会ったらしいから、大変なのも伺える。
さらにさらにさらに、満州国もあり、これが本当の独立国であるのか、軍事的にはどうであるのかなども、どうも綱引きが続いていたらしい。
そんなことで、人事・組閣、重要議題についても、調整・調整そして駆け引き・・って感じ。要職者ののスタンドプレーや私的見解での情報の見誤りもあったり。重要議題について、腹を割って議論を進めた結果とは言いがたく、そんなこんなでなんとなく三国同盟・米国との交渉決裂・中国をそのままに南進政策に進んだのもいがめない。
個人の問題だけでなく、この複雑な決定機鴻Vステムが悲劇をもたらしたとも感じました。
今も昔も国の要職にある秀才でも人間関係はもつれてばかり・・
これも、印象的です。秀才の軍人の中でも肌に合う、合わないって結うのがあるんですね。陸軍の長州閥は当初大変だったようで、最初は、この閥を解体しようと仲間も、長州閥が薄れると、仲が悪くなったり。満州事変の首謀者といえば板垣征四郎と石原莞爾。二人とも教鞭派のイメージで気が合いそうなんだけど、結局反目しあっている。板垣征四郎は、岩手出身で、リベラル派の海軍大臣米内光政とは盛岡中学の同級で仲が良かったり。石原莞爾は、東條と反目からはリベラル的扱いで描かれていました。昔も今も変わらず政治家同士でもそうみたいだし。
国家の最高決定機関であっても、人間関係の好き嫌いはあるのですね。秀才たちであっても、理論や理性は、感情に勝てないのかなとも思いました。
システムや環境に問題の論拠を置く視点は必要と書きながら思ったのですが、東条英機の個人の問題はどこにあったのかもやはり考えなければならないことだと、ここで書きながら感じました。
ここまで考えるには、きっとこの本の後編の太平洋戦争開始から終戦・判決まで、読まなきゃいけなさそうです。前編を読んでの頼エですが、幼年期からの軍人となることに徹し教育され、また、父へのコンプレックスが、広く人材を求め組織していく外向きの性格ではなくし、自己完結的性格で周辺の人材も都合の良いものだけが集まってしまったこと。さらに前に触れた、原理主義的思考が、当時の組織・環境のハンディーはあったとしても国の指導者として見識としてもいささか狭いものとしてしまったこと。原理主義的思考が軍人勅語教条主義を拡大し、精神主義による玉砕戦法へと導いてしまったのではかかったかと卵ェするのです。
さらにこの玉砕戦法は、一方で軍人としてドイツから学んでいた理性的思考の国家総力戦という近代的戦法と皮肉にも一体となり、被害は想像をはるかに超える結末となってしまったのではないか・・と想像するのですが。
いずれ、後編も読んで見なきゃと思ってます。
建築家の感想文としては書きすぎですね・・
教科書やテレビでかいつまんだ評価済みのことを頭に入れるのもいいけど、少し詳しい全体像をつかむのにこの本はいいように感じました。(歴史家から見ればあくまでイントロでしょうが・・)でも面白いと思います。本当の評価は、歴史家の判断にゆだねるべきかもしれませんが・・。
デモね、自分で考えてみたくなるのが建築家の性なんですね・・
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