昨年(2011年)の年末だったと思う、朝日新聞掲載の推薦図書に、この本が、立て続けに紹介されたように思う。それで、読んでみた。
民俗学というと、柳田國男ぐらいしか知らない。それも、書棚を見ると「日本の祭り」しかないので、浅学の身を改めて知る。
はじめから話はそれるが、この「日本の祭 」は、たぶん建築と・都市を考える上で読んだように思う。
最近は、祭りの記事というと、「その経済効果は○○億円」という、経済的視点でしか、取り上げられることしか思いつかない。
しかし、これは大学の建築意匠での神代雄一郎先生の講義だったのだが、確か「日本のかたち (1963年) 」という本を紹介しながら、祭りと空間について話していたように記憶している。
たとえば、ある漁村のお祭りでは、お祭りの期間、海辺に四方竹を配置ししめ縄を渡し、島の山の上の神様だったか?いや海の神様だったかを、そこに安置する空間(お旅や?)とし、お祭りが考えられている。その四方竹の大きさを実測するとちょうど3間四方で、人々の空間を意識的に認識した、原初の空間ではないかとの話。
これが、後ほど「間(ま)・日本建築の意匠 (SD選書) 」につながっているのだと思う。また、社寺においては、祭礼自体が目的であろうし、空間構造や形体を決める、決定てき要素であることも、この「日本のかたち」では、話されていたように思う。
また、先の祭りの話では、祭りの期間、神様は、いつも神様がいるところから離れ、村や町を練り歩き、「お旅や」に一時的に滞在したりする。このような祭りの行為自体が、村や町の都市構造と密接に結びついているというようなこともある。
私も大学と大学院は都市計画の加藤先生の研究室で、そこには町並み研究の西村先生も当時助手としておられ、「日本の古い町並み」調査にも連れて行ってもらった。私の学生時代の少し前が、最も華やかな「町並み」研究の時代ではないかと思うのであるが、そんなこんなで、ざっと町並みの研究などを眺めていると、お祭り・祭礼というのも大きく都市・町並みの構造に絡んでいる。
祭りを中心に町・都市構造を考え発想されているという事例も少なくないであろう。というのは大げさかもしれないが、祭りを中心に町・都市構造に密接に組み込んでいるのは明らかであろう。
建築・都市を考える上では、このような視点もあるわけで、柳田國男の「日本の祭り」を読んだのだと思う。
また、柳田國男といえば、「遠野物語 」。
中学生のときブラスバンドの岩手県大会の会場が遠野で、バスで、横をせせらぎが流れる山道を縫って、行きました。その清流を見て、先輩は、音楽そっちのけで、むしろ釣に凝っててりして「ヤマメ!アユ!」なんて叫んでたな(笑)。それが僕の遠野デビュー。
後から、やっぱり遠野の「曲がり屋」を見たくって行きました。ゆるい谷の地形に、田んぼの稲穂が揺れ、点在する曲がり屋。やはり「物語」よりも景観目がゆく僕です。
というわけで、民俗学といったら、柳田國男で・・・私にとって、「祭り」「民話」といった、少し高尚なイメージです。
しかし、この宮本常一の民俗学は、下ネタ満載の民俗学で、ビックリ。
「土佐源氏」や「土佐寺川夜話」の段では、いい女がいると思えば、夜通しでいくつかの山を越えて、女の家に行き、夜中に、寝所に潜り込み、一発やってしまう。女も、それを抵抗なく受けとめていたりする。
また、当時は金回りの良かったであろう商売のある馬喰うの話だったと思うのだが、村々を渡り歩いて、その村の未亡人(後家)や婦人と、やってしまうのもしょっちゅうであったという。また、決して強姦などではなく、むしろ女性が招き入れている感じで、そのような女性も珍しくはなかったようでもある。
何やかや言っても、源氏物語の時代から、夜這いしまくっているって、日本人ってやっぱり性におおらか!!なのが本性なのでしょうね。今でも変らず、インターネット世界に担って、ますますなのかもよ・・
「女の世間」の段では、女同士の共同体が組織されていたとの話であるが、そこでも下ネタが満載である。
田植えと下ネタはどうもセットなのが常のようで・・。私の関わっている北上ふるさと会(在京の北上市出身者の会)では、民話の会なる民話を訛りで語るサークルがあるのであるが、ここの民話はどうも、下ネタが多い。でも、この本を読んでいると、民話とはこんなものかと、合点もいく。
また、私は小・中と子供のPTA会長で、お母さん方と話すことも多いが、意外と、ゆるい下ネタで適当にお茶を濁しているのが、安全なPTA運営方法って、最近思うのも合点がいってきた。・・ガチ・マジに議論して、苦ーい思いがあるからね・・
かんな感じで、下ネタが多く、「題名から察するに中学生にお奨め!!」とは、言いにくい。
とはいえ、感心させられるところも、多い。
「対馬にて」「村の寄り合い」では、集会にて、徹底的に議論されて、きめれれている様子が伝えられている。
合議制といっても、日本の場合、どうも長老が出てきて最後は決定を下す、とか、有力者何人かで方針が決められていて、後は従うだけ、のようなイメージがあった。多くを議論して、その末、決定に至るのは、戦後民主主義教育の結果?などと勝手に、自分で思い込んでいるところがあった。
このたりを読むと、様々な会合の中で、夜を徹して、白熱した、また相手を尊重しながら議論が、進められている様子が伺える。会議で理性的議論により合議を経て、決定に至る、というやり方は、近代民主主義の特許でもなく、本来、日本人が自然発生的にやっていたことなのかもしれない。
知的階層や社会的地位の高い階層の会合は別にして、今の私のごく身近な会合・会議などの話を見ていると、なんとも短絡的で、自己中心的、中身のない話ばかりが多く、相手の心情を諮ったり、自己を客観的に、もしくは全体を押し計らって、発言する人が極端に少ない。ほとんどが前者のような話ばかりである。こんな様子を見ていると、戦後民主主義の教育は、退化ではないかと思ったりもする。
いや、それは、「君が理想主義者であるだけで、人間の本質は、今も昔も変らないのだよ・・」と、言われればそれまでであるが・・。
また、ちょっと気になったのが、このような村単位での会合の発達は、西日本に多く、東北は、家族中心で、家長・長老の発言力が強いと言うことらしい。東北が、何と無しに、西日本に比べ、発達に劣るイメージは、京都から離れ、歴史的・地勢的に、そのような状況に陥ったのが大きな利用であろうが、このような閉じられた社会体質の傾向にも、起因するのでは、とも感じた。
ともあれ、このような自然発生的な民主主義に、感心させられ、日本人の底流を見る思いがした。
もう一つは、「文字をもつ伝承者たち」の段で、今で言う郷土史家のような人たちが脈々と存在していたことである。郷土史家とは、スケールが小さいかもしれない。中には農業研究もふくまれるし、組織の長としての役割も含まれよう。郷土史とはいえ、知的レベルは随分高いもの様であった。
このような人々が、日本のいたるところにいたであろうことに驚く。どうも、知識人というと、○○大学の教授のようなどこかの組織のお墨付きが無いと、信用置けぬ近頃ではなかろうか。ITが発達したとはいえ、結局は表題・肩書きで判断される。ITの発達で、情報が爆発的に増え、社会も専門特化の上細分化のためさらに量が増え、結局は、篩としての表題・肩書きが、むしろ偏る傾向にあるのではなかろうか。
そんな中で、教育制度が十分ない時代に、自らの知的好奇心に頼り、考え・書き残し続けた人々が、いたことにあらためて感心させられた。
もう一つ印象的だったのが、本の100年前、私の祖父の頃と思えば、そんなに昔の話ではないと思うのであるが、日本は、随分原始的だったんだと、つくづく思う。
着物一つで、山山を駆け巡っていた時代。いや、人間が、動物と対して変らず、山々を、徘徊していた時代なのだ。田んぼ、畑仕事であっても、夜の明ける前から、日が落ちてまで、耕し続ける強靭な体力を持っていた人間・日本人ががそこにはいた。今に比べると、超人的世界である。
常に、冷暖房で守られた世界に暮らし、物と情報とにあふれた今を考えると、人間のもっている本来の力とはこんなものかと、感心させられてしまう。それが、この50年、100年の間の変化だとすると、これからつきくすむ世界はどんなものかと末恐ろしいものを感じる。
読み終わり、宮本常一その人の、耐力・忍耐力も尋常ではない。
ともに野山を歩き、フィールドワークのための耐力と膨大な時間。どこからどこまでが学問だか、わからぬような世間話を聞き集める執念。恐るべし・・
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