2010年1月19日火曜日

ミース・ファン・デル・ローエ vol.1 建築文化 vol.53 no.615 1998年

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訳者 : -


整理番号 : 11

分類 : 建築_作品   |  ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:10000000

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ヒロシの書評:
ミースの手ごろな作品特集。ミース前段のヨーロッパ時代の特集。最初に、再現されたバルセロナ・パビリオンの豊富な写真が掲載されている。また、東京大学工学部建築学科所蔵バルセロナ・パビリオン青図(たぶん実際の実施設計レベル)も興味深い。
ポストモダン以降のミースの再評価が、このヨーロッパ時代を、中心にされている匂いがプンプンの、特集の構成のように思える。
掲載の批評も興味をそそられる。

ビアトリス・コロミーナ氏の「ミース・ノット」では、期待通りのマスメディア論を展開。「この計画(フリードリヒシュトラーセ設計競技)は、ここ数年私が論じてきた例証となるものだ。すなわち、近代建築が<近代的>足りうるのは、・・・ガラス、鉄、鉄筋コンクリートの使用においてなのでなく、メディアとの積極的関与、つまり出版物、設計競技、展覧会などの関与においてなのである。・・・フリードリヒシュトラーセ設計競技、『G』、『曙光』などの文脈においては、近代建築のマニフェストに変わってしまったのだ。」(p86)と。
さらに、ミースについては、「ミースの建物において<重要であるのは>、それらが実際にどのように建てられているかでなく、それらが<どのように見えるか>なのだと認識することである。ならば、重要なのはそのイメージ、写真におけるイメージなのだ。」と。このあたりが、再評価のひとつの視点。
杉本俊多氏の「シンケルとミース」では、再評価のもうひとつの視点、古典主義による影響を解説している。当時ドイツのロマン主義・表現主義・構成主義の影響の指摘もなるほどである。また、CGによる復元と実際のミースのドローイングの比較は、改めて、をビアトリス・コロミーナ氏の「マスメディア論」納得させるものであった。
八束はじめ氏は、「ミース論の現在」により包括的解説をしている。うえの、再評価の視点も、八束氏の受け売り?かもしれない。具体的な、再評価の系統・本の解説もうれしい。
ミースの本は2系統。「MoMAの系統の(ジョンソン、グレッサー、ドレクスラー)とIITの系統(カーター、スペース)」に分かれ、前者は「膨大なドローイングの寄贈を受け・・管理した人」、後者は「いわば門下」だそうです。
「他はスイスのブレーザー・・、ミースの全面的お墨付きのある本」とのことで、この本は、僕がミースの感覚に最も近い作品集かと思い購入したのですが、結構いい線を行ってたのですね。
「MoMAのドローイング集も20巻のアーカイブとして出て、」といってますから、基本的にはこれがミースを一応網羅した作品集なのでしょう。蛇足ですが、1996年アーキテクチュア・オブ・ザ・イヤー展で、磯崎新氏の所蔵本が復元されていたのですが、そこになにやら膨大なミースの作品集があって、何かと思っていたのですが、たぶんこれだったのですね。
それと、その後の評論については「ボォルフ・テーゲットフ、リチャード・ポマー、フィリッツ・ノイマイヤー」ろ「シュルツ」が「新世代のミース研究における四天王」だそうである。
批評の内容で僕が気になったのは、システムとディティールについてだ。「システム=言語の理解というのは、ものを見て感じるというような、いわば抽象論的にはできないものです。注意深くディティールと全体との関わり、・・を仔細に見ていかないといけない」(p124)「ディティールとしてみていても駄目です。システムなんですから。」(p125)とし、ミースの作品について「原理主義的というより、建物のスケールとかに合わせて臨機応変にディティールも変えていると僕は思う。それを理解するには、それなりにディティールのわかる人じゃないと無理でしょう。・・ディティールにはそれなりの倫理というか生理みたいのものがあって、・・コーリン・ロウのような美術史家タイプの人だとどうしてもこの辺りが限界になります。本当の細部には踏み込めない。」と指摘しています。
視覚的・観念的批評に傾きがちのデザイン論であるが、全体を構想し、システムに考えをめぐらせ、ディティール・細部にいたる構想を常に抱く、建築家癖というか、設計者の視点から、ミースの理解を必要としていることに、僕も同感するところである。
そして最後で、これは文脈とは関係なしに、語句だけ選んだのであるが、「ファーンズワース邸と双璧であるクラウンホール」という言い回しで「ファーンズワース邸とクラウンホール」がミースの頂点であるかのよう思わせぶりな表現をしている。ミース批判の最大の標的「クラウンホール」が、実は「システムと美しさ」を達成した頂点に当たる作品であろうと、感じているのである。この思いと、八束氏の批評が若干コミットし、思わずニヤッとしている。

とことで、ミースの本を整理しつつ、木になる言葉があった。
Less is more.
ミースの格言とされるが、「ミースが実際に言った言葉、もしくは書き表した言葉」なのかということです。
あまりにも聴きなれた言葉に、つい、ミースが、講義か、文章で発表した言葉と思っていたのですが、パラパラ本をめくっても出てこないし、インターネットで調べても出てこない。
他の、ミースの言葉を拾っても、このようなデザインと直結した言葉は、使っていない。
もっと哲学的・もしくはもっと理念的表現が多いようにも思う。これは、ミース自身の言葉ではない・・と怪しんでいた。
ヒントがありました。
ビアトリス・コロミーナ氏の「ミース・ノット」p85での記述。
「著名な宣言・・(Less is more)」(フィリップ・ジョンソンによってミースの言葉とされた*26))は、ひとりの建築家が発したそのようなわずかな言葉がこれほどまでに多くの公衆に届いたことは類を見ない」と。
注却*26)には「Pilip Johnson,Mies van der Rohe. p49」とある。
うーん、フィリップ・ジョンソンが絡んでいたか。上の原文を見ていないので、ミースか、ジョンソンか、それともこれは解明不明なのか。わかっているのか。いまだ僕は疑問?
知ってる人がいたら教えてくださいね。


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