2010年1月19日火曜日

ミース・ファン・デル・ローエ vol.2 建築文化 vol.53 no.615 1998年

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訳者 : -


整理番号 : 12

分類 : 建築_作品   |  ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:10000000

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ヒロシの書評:
ヨーロッパ時代の特集続く、アメリカ時代の特集。最初の掲載写真が、レイク・ショア・ドライブ。それにシーグラム・ビル、シカゴ連邦センター、ベルリン新国立ギャラリーと続く。
なんと、最初の掲載写真が、レイク・ショア・ドライブあることは印象的だ。アメリカ時代は「経済性・プラグマティズムを代表する建築だなければならない」ということか。これを最初に知ったのは、大学の神代雄一郎先生の意匠の講義のスライドだったと思う。近代建築に批判的立場だったと思うが、この建物に関しては案外好意的だった印象がある。ただ、「エントランスのトラバーチンの大理石は、凍害で割れていました」というスライドのカットで、チクリとすることも忘れていなかった。
この延長上にシーグラム・ビルがあるのだろうが、シーグラム・ビルの威厳のある巨大な結晶・悪く言えば権威の象徴のような建築に比べると、同様のデザインでありながら、タワーとしての明快さ、ツインビルの絶妙の配置コンポジション、近代建築に失われがちな優雅な質感は、いかにも湖畔にふさわしく、美しい作品だと思う。
また、最後には、「ニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵」のドローイング・図面が、ヨーロッパ時代・アメリカ時代をとおして、主要なものが掲載されていて、ありがたい。

評論・対談もいくつか掲載されている。
八束はじめ「極限の家に向かって」では、「・・アメリカでのファーンズワース邸といういまひとつの(そして、私の見解では、おそらく真の)ピークに達する・・」p70とし、近年のミース再評価の傾向に、反逆ののろしを上げている。まあ、文脈は無視し、冒頭の一部を抜き出しているので、そんな大仰の話ではないのであるが、実は括弧の、「(そして、私の見解では、おそらく真の)」が、八束氏の本音ではないのかと勝手に解釈した。
この論文の中で、気になる字句がある。「結晶」である。

実はアメリカ旅行でシカゴを訪れ、IITのクラウンホールを見に行った。当時は、周辺の地域は非常に治安が悪い雰囲気だった(とにかくそう思えた)。IITキャンパスでは、夏で、時期的に学生がいなかったこともあろうか。クラウンホールまで近づき、さあこれからゆっくり見ようとすると、パトカーのサイレンが鳴り出し、妻と一緒にあわてて、少し人通りの多いところまで、逃げかえった思い出がある。しかし、そこで、目に焼き付けたクラウンホールは、まさに「結晶」のような建築であった。
私の体験上、「結晶」という言葉がふさわしい建築が、もうひとつある。ローマで訪れた、ブラマンテ設計の「テンピェット」。集中式ドームの原型といわれる。中庭に建つ、小さなこの建物は、これ以降の原型となるべき、まさに完全なる「結晶」に思えた。
材料も、大きさも、立地環境もまったく異なる建物であるが、クラウンホールは、まさに現代の「結晶」建築にふさわしく思えた。ガラスと鉄の「結晶」。いわゆるユニバーサル空間の「結晶」。近代建築ひとつの特徴である材料の視点、もうひとつの特徴である空間的視点の双方から、原型となるべき「結晶」と思えたのかもしれない。
いや、そんな硬く苦しい理解ではなく、そこに「存在するだけで美しい」という「結晶」というイメージが、クラウンホールについて離れないのである。

八束氏はこのような表現をしている。(たぶん文脈上アメリカ時代以降の作品をさすのだと思うが)「それ以降、ガラスの全面化によって柱はシステムとして建築を包囲しだす。・・内部の自由なオブジェの大意穂がつくりだしていたそれまでの流れるような空間は消失し、壁や柱のようなここの要素にも増して、空間の全体が硬い結晶のように凝固する。」p71。
また、「ミースはアメリカではじめて物質主義者になれてのである。その都市部でのオフィスビルやアパートの仕事には、彼の新たな結晶化した箱によるスタイルがいかにも向いていた。」p76とも、表現している。
むろん八束氏は、詳細な実例の分析を進めながら、結論に至るのであるが、私は、この結晶というイメージが、ほかの近代建築家にはない魅力の源泉となっているのではないかと思う。
八束氏もさいごにこう結んでいる。「ミースの真のピークに関して理解するのは難しい。・・もうひとつのピークであるクラウン・ホールへと至るIITへに建物について述べなくてはならないにせよ、ファーンズワース邸がバルセロナ・パビリオン以来の展開に対する究極の解答(・・であったことには間違いない。」)
まさに「クラウン・ホールへとファーンズワース邸」の復活宣言!

これ以降は、完全に私のミース論(って言うか、ざつだん)となるが、書き進めたい。

前号の対談で八束氏は、設計者にはイメージしやすい例をあげて、こんな話をしている。
「磯崎新さんと対談したとき、磯崎さんは「ミースはやっぱりヨーロッパ時代が面白い。アメリカに行くとデベロッパーに巻き込まれちゃって面白くない」と言うんです。レムはそうじゃなくて、シカゴのフェデアルセンターみたいなものが面白いというんですね。」
君は、磯崎派?・レム派?って言うこと。設計屋にとっては、非常に明快な気がするでしょ。
でも、共通点があって、どちらも、設計でデザインを引用しながら、かつ、デザイン展開がしやすいって感じがする。まさに、現在のデザインは、このような展開手法に頼っているように思う。

しかし、「クラウン・ホールへとファーンズワース邸」の「結晶」につながるイメージが、ミースのほかの近代建築と異なる源泉であるとすると、いささか話がややこしい。
時期的には「クラウン・ホールへとファーンズワース邸」は「磯崎派?・レム派?」のちょうど、真ん中である。
この「結晶」につながるイメージ源泉は、記号的操作により得られるものでもない。たとえ、ミースの列柱のコンポジションが、古典建築に似ているからといってそれをまねても、これらのミースの空間に迫れないことは、ポストモダンの実験で明らかである。
そして、このイメージの源泉が、実際どこから引き出されるかと考えれば、「システムとディティール」というのが、前号の八束氏の評論「ミース論の現在」から、導き出した結論である。
実は、「システムとディティール」というのが大変厄介者である。まず、システムとは何ぞや。社会的状況・思想的背景・施工環境により大きく変わる。建物ごとの設計目標によっても変わろう。
たとえ、システムが構築できたとしても、ディティールまで、ひとつの設計思想により一貫したシステムを築くのは、至難の業である。
さらに、さらにである。その、一貫した結晶のようなシステムは、一度つくりあげると、簡単には、改変できない。デザインの展開が容易ではないのだ。ミース・ファン・デル・ローエの「結晶」としてのデザインは、いくら改変しようが、ミース・ファン・デル・ローエであり。下手にその「結晶」のシステムを下手にいじるならば、恐ろしいほどキッチュで、みすぼらしい建築になってしまう。
「結晶」の「システムとディティール」のデザインは、このようなジレンマに落ちいってしまう。
これは、何もミースだけではない。ルイス・カーンにおいても、同様である。ルイス・カーンのデザインをどういじっても、ルイス・カーンのそれであり、苦し紛れに、丸い、または三角の開口を開ければ、ルイス・カーンのコピーとなるか、恐ろしいキッチュなデザインとなる。といって、ルイス・カーンの理念を研究したからといって、新しいシステムが沸いて出てくるわけでもないのである。
これが、近代建築の「結晶のジレンマ」。

やっぱり、「磯崎派?・レム派?」となり、デザインを展開、消費する?。消費の行き詰まりには、システムとまでは行かないまでも、デザインとは、多少距離を置いたプログラミングとか言う考え方で、システムの部分部分を適度に改変するというのが、近頃の傾向ではないだろうか。
しかし、そこでも何かが足りない。

さてどうする?PC/ITにたよるしかないか・・ということで、複雑系・アルゴリズムに向かうしかないのかな、とも思うのです。


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