2010年4月12日月曜日

日本の思想

著者 : 丸山 真男|丸山 眞男

訳者 : -


整理番号 : 1026

分類 : 人文・思想 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:2604

amazonで見る(右タイトルをクリック)) タイトル:日本の思想 (岩波新書)

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ヒロシの書評:
この本、思想・哲学という売れないジャンルの本の割には、そうとうの売れ筋ということらしい。うーん、どこかで書いていた。
めちゃくちゃ単純にしてしまうと、「長いものに巻かれろ的発想と、深く考えずに目先の利にみんなで一緒に飛びついちゃう」そんな日本人への批判書なのかな?
でも、そんなにいっぱいの人が読んでいても、なんだか、変わらない日本・・・なんだろうなって、思ってしまう。
本書の本流からすると、細部の話かもしれないが、僕の「すごーく」気になったのは、この部分。
「学問や芸術における価値の意味」p177で、下のように言っている。
「芸術や教養は「果実よりは花」なのであり、そのもたらす結果よりもそれ自体に価値があるというわけです。こうした文化での価値基準を大衆の嗜好や多数決で決められないのはそのためです。・・・・政治や経済の制度と活動には、・・せいぜい「先例」と「過去の教訓」があるだけであり、それは両者の大きな違いを暗示しています。政治にはそれ自体の価値などというものはないのです。(p178)」
ここに、建築、もしくは設計という行為の悩みが隠されていると思う。建築・設計という行為は、「社会的資本を蓄積する文化的行為」である一方、「経済行為」であるという現実。建築・設計行為は、その二つの相反する綱引きの中にある。
どうも、世の中は「経済行為」に、重点が置かれているような・・。果たして、建築は、顧客満足度のみを優先し、見えざる手が、美しい建築・街を築くことが出来るのであろうか。
「そんなことを、言っていては、仕事は取れぬ。経済的実現性がなければ、プロジェクトは実現しないのであるから。まずは、実現せよ。そこに設計者の文化的行為が少しでも反映されるのだから。かつて建築家・村野藤吾が「建築に1%の村野が・・」といったように。」
もしくは、こうもいえるか。「丸山真男のそのような考えを、真として、全て受け入れていいものか。芸術的・文化的活動や思考が、全て経済行為に組み込まれないともいえまい。デザインとして経済活動にコミットしながら、芸術的・文化的活動や思考を実現する建築家も多くいるのであるから・・」
その前に、君の設計は、「芸術・社会的領域なのか?」と問われると・・・それは、自分でそう思っているしかないのである。
まあ、そう、自分に言い聞かせ、「芸術文化的行為」と「経済行為」の悩みは、続く・・。

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