2010年8月22日日曜日

東条英機と天皇の時代 (上) 軍内抗争から開戦前夜まで

著者 : 保阪 正康

訳者 : -


整理番号 : 1035

分類 : 文学・評論 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:918286

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ヒロシの書評:
「小説 田中角栄」-1.青雲編を読んで、続編があるかと思えばない。また父の本棚に眼をやると、今度はこの「東条英機」が目に入ってきた。
東條英機と言えば、太平洋戦争の主犯で「A級戦犯」。まあ、僕らの世代からすると、すでに歴史の人ではあるが、悪の権化のイメージが一般的であろう。
ところで岩手の人の自慢で、歴代総理大臣の出身県というのがある。「最も多いのは明治維新の主導地域長州の山口県で8人であり、東京都が5人、岩手県が4人で続いている。戦後は群馬県が4人で最多である。「歴代首相出身県」というのであるが、戦中派の人はこれに東条英機を加えて5人としてしまう。父が岩手だから・・と聞いていたが。
この東條を除く4人を見ている総理大臣の欲がありありで総理大臣になったイメージではない。米内光政の伝記でも、なりたくてなった感じでもない。鈴木善幸にしても、角副戦争が大平正義が総理につくが、急死を経て、総理の座が転がり込んできた?やらざる得なかった、とイメージが子供ながら思った。東條にしても本当に自らが、先頭で回線への旗を振ったのであろうか?そしてどんな人物であろうか?そんな思いから、また読み始めてしまった。
読み始めると、これがなかなか面白い。
僕にしては、詳しすぎて・・たいへんなのですが・・印象的なことをいくつか上げると。
まずひとつに生い立ちと勉強方法の開眼。
先祖は南部藩に仕えた矧y師。(えっ矧y師?って感じですが・当時は知的回想だったのかもしれません。)南部藩のお家騒動と明治維新の中、父英教は生きる道を求めて軍隊に。父は秀才で陸軍中将まで出世し、陸軍きっての理論派なるが、長州閥との対立・濫ニして左官される。父が出世できなかった無念の思いが子英機に託され、軍隊一筋の教育環境にあったようである。
ところが英機は父ほど秀才ではなかったようで、苦労したようだ。ところが幼年学校か士官学校のあたりで「丸暗記」という勉強方法を習得する。教科書をそらんじるほどに暗記する。この方法で成績が見違えるほどアップ。これで東條英機の出世の道が開けたようだ。メモ魔東條、カミャ鞄捲鰍烽アの辺りが原点ではなかろうかと思った。
次に原理主義者ってこと。
もちろんイスラム原理主義社じゃないよ。天皇原理主義、明治憲法原理主義、軍人勅語原理主義っていうか、東条英機にそんな感じのイメージを受けた。「丸暗記」を征服した東條は、「軍人勅語」も完璧に丸暗記して、相手を論破するのに「軍人勅語」の一節を用いて、相手を打ち負かしたという。(いま手元に本がないので、記憶があいまいなのですが・・)このような手法・思考方法が東條の骨格となっていったように思います。
軍人勅語を、明治憲法、軍隊の天皇輔弼の原理、帝国国策遂行要領に当てはめ、決められて物がこうであるから、そう実行しなければならない、そう実行せねばならぬ、という思考。そのような考え方が、底流にはあったように感じました。軍人として教育され、それが当然、まじめな考え方で正義であるともいえると思います。(私の立場で考えると、建築基準法は守るのが当たり前、法律の内容は全て正しい・・と考えるように・・)
しかしそれは一方で、偏狭な思考となってしまったのではないかと思うのです。・・ウーン、当時の最高の頭脳が考えていることですから、偏狭というより、責任を原理そのものに投げてしまう思考がどこかにあったように思うのです。
その次に政治の体制・組織についてです。
今でも内閣総理大臣は内閣の取りまとめやら、党内の取りまとめやら、組織維持には大変そうです。でも、明治政府のトップの組織はもって煩雑って感じを受けました。今と同じ内閣と内閣総理大臣がいて、その上に天皇がいる。さらに、軍部が強力な力を持っていて、総理大臣が嫌われて、軍から陸軍大臣・海軍大臣を出さないといったら、内閣は作れないといった感じ。軍は天皇を輔弼する役目があって、総理大臣抜きの天皇とのパイプがあるような。
さらにさらに、陸軍も海軍も、陸軍省・海軍省という政治的部署と、参謀局(陸軍は参謀本部・海軍は軍令部)という実際の部隊率いる部署に分かれていて、これも結高ネ駆け引きがある。実際の軍を率い、落Zの金も握り、もともと輔弼は参謀局に会ったらしいから、大変なのも伺える。
さらにさらにさらに、満州国もあり、これが本当の独立国であるのか、軍事的にはどうであるのかなども、どうも綱引きが続いていたらしい。
そんなことで、人事・組閣、重要議題についても、調整・調整そして駆け引き・・って感じ。要職者ののスタンドプレーや私的見解での情報の見誤りもあったり。重要議題について、腹を割って議論を進めた結果とは言いがたく、そんなこんなでなんとなく三国同盟・米国との交渉決裂・中国をそのままに南進政策に進んだのもいがめない。
個人の問題だけでなく、この複雑な決定機鴻Vステムが悲劇をもたらしたとも感じました。
今も昔も国の要職にある秀才でも人間関係はもつれてばかり・・
これも、印象的です。秀才の軍人の中でも肌に合う、合わないって結うのがあるんですね。陸軍の長州閥は当初大変だったようで、最初は、この閥を解体しようと仲間も、長州閥が薄れると、仲が悪くなったり。満州事変の首謀者といえば板垣征四郎と石原莞爾。二人とも教鞭派のイメージで気が合いそうなんだけど、結局反目しあっている。板垣征四郎は、岩手出身で、リベラル派の海軍大臣米内光政とは盛岡中学の同級で仲が良かったり。石原莞爾は、東條と反目からはリベラル的扱いで描かれていました。昔も今も変わらず政治家同士でもそうみたいだし。
国家の最高決定機関であっても、人間関係の好き嫌いはあるのですね。秀才たちであっても、理論や理性は、感情に勝てないのかなとも思いました。
システムや環境に問題の論拠を置く視点は必要と書きながら思ったのですが、東条英機の個人の問題はどこにあったのかもやはり考えなければならないことだと、ここで書きながら感じました。
ここまで考えるには、きっとこの本の後編の太平洋戦争開始から終戦・判決まで、読まなきゃいけなさそうです。前編を読んでの頼エですが、幼年期からの軍人となることに徹し教育され、また、父へのコンプレックスが、広く人材を求め組織していく外向きの性格ではなくし、自己完結的性格で周辺の人材も都合の良いものだけが集まってしまったこと。さらに前に触れた、原理主義的思考が、当時の組織・環境のハンディーはあったとしても国の指導者として見識としてもいささか狭いものとしてしまったこと。原理主義的思考が軍人勅語教条主義を拡大し、精神主義による玉砕戦法へと導いてしまったのではかかったかと卵ェするのです。
さらにこの玉砕戦法は、一方で軍人としてドイツから学んでいた理性的思考の国家総力戦という近代的戦法と皮肉にも一体となり、被害は想像をはるかに超える結末となってしまったのではないか・・と想像するのですが。
いずれ、後編も読んで見なきゃと思ってます。
建築家の感想文としては書きすぎですね・・
教科書やテレビでかいつまんだ評価済みのことを頭に入れるのもいいけど、少し詳しい全体像をつかむのにこの本はいいように感じました。(歴史家から見ればあくまでイントロでしょうが・・)でも面白いと思います。本当の評価は、歴史家の判断にゆだねるべきかもしれませんが・・。
デモね、自分で考えてみたくなるのが建築家の性なんですね・・


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小説 田中角栄〈上〉 (徳間文庫)

著者 : 邦光 史郎

訳者 : -


整理番号 : 1034

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ヒロシの書評:
夏休みに帰省。ノートパャRンは持ち込んだものの、なんとなく仕事ははかどらず、父の本棚から引き出して、読みました。
設計の仕事をゲットする営業はどうすればいいのか、そして、人脈の広がらない悩み。そんな僕とは、正反対の人物であろう田中角栄が、なんとなく気になったのでした。
僕の世代からすると、田中角栄といえば、ロッキード事件。子供心に、報道は悪の権化みたいな扱いの感じだったと言う記憶だ。大学に入っても田中角栄がらみの仕事は絶対しないと豪語するやからもいたとか・・そんな時代であった。
そんな僕も、勤めた設計事務所は、小佐野賢治氏の国際興業とのかかわりの深いところで、・・報道と現実のギャップをなんとなく受け入れる感じですごしてきた。
デモね、政治と裏献金の問題は、ロッキード事件以降も相変わらずだし、さらに拡張して考えると、法律や補助金だって特定企業の思うままに操られ、その結果、特定の企業や特定の団体に、補助金やら商売上の優遇が与えられて、何億何初ュ何百億の利益を得ているといういると思えば、それもたいした事のないように見えてしまう。
たぶん、そんな思いから、むしろ田中角栄の生い立ちを見てみたくなったんだと思う。
何せ、「日本列島改造論」をあらわし、建築士の制度をつくり日本の一級建築士第1号(・・確かそういう記憶なのですが・・)で、戦後日本の建設土木開発の権化(また権化ですが)のような方ですから。

前段が長くなりました。
でも、以外というか、田中角栄の若いころの話を読んでいると、すごく好感が持てたのです。
子供のころ角栄氏の総理大臣の映像を見ていると、戦争に行っているなんて、なんだか想像だにしなかったのですが、徴兵されて満州まで行ってるんですね。
そして、描かれているの角栄氏のラッキーさと、要領のよさ。この要領のよさって言うのは、嫌われながらもずるがしこいのではなく、頭が良くて、人懐っこいく、人に慕われる(重宝される)事から来る要領のよさ。ま、うらやましいです。
ラッキーというのはすごくて、徴兵後の満州でラッキーにも病気で兵役を離脱、その病気も生死ををさまよいながらもラッキーにも無事回復。回復後は、建設会社の娘と結婚し、建設会社社長へ。その建設会社は戦時中も、官庁の軍事施設を請負会社は順風満帆。
またもや軍事関連工場建設のため満州へと行く事となるが、そこで終戦。普通はここで生死をさまようパターンもあろうが、悠々船で帰国。それもカクエイの乗船名簿の名前を女性と勘違いしたため、いの一番い乗船させられたという。恐るべし。
戦後になると、どうも建設会社の規制があり建設会社の数自体制限されていたようであるが、戦前の官庁工事の実績から指定の建設会社となる。全国焼け野原の状況であるから、指定の建設会社となれば、おいしい仕事がどんどんゲットできたのは想像に難くない。
要領のいい性格から、民間の企業の人脈ともつながり、また、神楽坂では芸子にモテモテと、・・・ウーン、男にしては、バブル期以上に、うらやましい限りである。
また、戦後まもなくは、政治的にもまだ、混迷の時代。佐藤栄作・田中角栄=自民党って感じで、もうそれは決まりきってること、って子供心にテレビを見たいたけど、思えは戦後、自民党ができるまでは、政治的にも混迷の時代だったのですね。
何せ、読んでいるとGHQ内部でさえ、左派・社会党容認派の民生局(GS)と、右派系のG2(参謀第2部)があって、まだてんてこ舞いだった。
そんな時代だから、金に融通の聞く田中にご指名が上がった。選挙だって田中がはじめて立ったのは、戦後はじめての衆議院選挙で、女性の参政権もはじめてなのですから・・めちゃくちゃだった。
選挙は楽勝だったはずが、裏切り行為あり、などで、雪の中の選挙戦、弁論会場の参加者はゼロのところもあったり、始めての選挙は時点で落選してしまう・・。そこに、田中角栄の政治家魂に火がついた・・・のだとか。
てな事で、2回目の選挙では、当選し、田中角栄代議士が誕生したのだと・・・

今から考えると、すごい時代だったのですね。
ぐちゃぐちゃした時代だったからこそ、エネルギッシュな田中角栄が生まれれきたのでしょうね。
それに比べると今は何もかにもが整ってしまって、・・特に建築関係は・・というのはいがめない。
とはいえ、ITで明らかにある面では時代が変わっているし、何といっても田中氏の人付き合いのうまさ、要領のよさは、学ばなければならないなー。
学んで、学べるものじゃないかもしれないけど・・努力しなきゃと思ったよー。
それと、やっぱり運ってのが、人生には決定的ではあろうって思った。でも、これだけはしょうがない。逆に言えば、いま運がないのは、自分のせいではないって事。しょうがない、笑い飛ばすしかないね。
学ぶべきは、考えてばかりいないで外に出ろ!って、今の僕に言い聞かせました。


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2010年7月6日火曜日

クリストファー・アレキサンダーの私の概論

クリストファー・アレキサンダーは、学生のころから気になる建築家・都市計画家・理論家だ。
大学院での加藤研究室では、"Pattern Language","The Linz Cafe"の原書の読書会が定例であった。加藤先生は、「優しい英語で書いてあるから読みやすいよ」とは話されていたが、語学が大の苦手である私は、興味があるけど、しんどいのであった。
当時の助手は、いまや東大の教授の西村先生。当時は町並み保存の研究をされていて、西村先生も付き合っていたけど、アレキサンダーの理論は、町並み保存を生かした町づくりにも有効な手法と考えれれていたと思う。
僕にとって、アレキサンダーの魅力とは、デザインそのものを論じているのではなく、デザインの手法、デザインのプロセス、デザインの構造・成り立ちを論じていることにある。デザインのうまい・下手、デザインのスタイルなどはどうであれ、あるデザインの手法・プロセスを経ることで、ある構造・デザインのシステムが組みあがる。
その構造・システムが、共有する「美しさ・心地よさ」を生み出す。逆に、共有すべき「美しさ・心地よさ」をもたらす、構造・システムを考える。そのような視点がアレキサンダーの魅力ではないだろうか。
そこで、私の読んだアレキサンダーの著作の書評・感想文をと思ったが、その著作は結構多いので、その前に氏の著作の一覧を整理しておこうと思う。

<初期の著作>

<環境構造センターのシリーズ>

<最近の著作 環境構造センターのシリーズ>
THE NATURE OF ORDER: FOUR BOOKS:
  • BOOK 1: THE PHENOMENON OF LIFE
  • BOOK 2: THE PROCESS OF CREATING LIFE
  • BOOK 3: A VISION OF A LIVING WORLD
  • BOOK 4: THE LUMINOUS GROUND

<初期の著作>は、実は先端デザイナーから注目を集めていたらしい。「建築はツリーではない」は論客・磯崎の本でもちょくちょく言及されている。ピーター・アイゼンマンも「形の合成に関するノート」を指導教授から「こんな凄い論文がある」と、叩き付けれれたとかどこかで読んだ。
<環境構造センターのシリーズ>は、ひとつのピークであろう。特に「パターンランゲージ」はその最も高き峯であろう。しかし、建設業界・デザイナーからは、大きな溝を抱えることになる。
<最近の著作 環境構造センターのシリーズ>は、私の未知の領域であるが、サイトで見る限りは、計画手法から、視覚的デザイン領域に踏み込んだように思える。時間があれば読んでみたいものである。

ここで、アレキサンダーの思考に欠けていることがあるとすれば、欲望としての建築・建設に視点。資本主義経済成長の道具としての建設行為としての視点であろう。彼はあえてそうしているのだろうが・・
しかし、あえて批判的に考えると、そもそも人は、「美しさ・心地よさ」を求めて建設・建築を求めているのだろうか。
現代資本主義社会で、求めれれる最終目標は、欲望。欲望を、夢と言えばカッコがいいが、夢とは、自己実現への欲望。つまり、自己評価の最大獲得が、最終目標である。さらに自己評価の最大獲得は、金(貨幣)に置き換えられる。つまり建築・都市は、金(貨幣)で評価される自己評価の最大獲得の手段でしかないのではないかという疑念である。
さらに、現代資本主義社会では、建築都市は、単なる資本主義経済循環のための商品に過ぎなくなっている。消費を促す程よいデザインが唯一の目標である。特に、日本では、造っては壊す日本式建設業の体質が、社会的・文化的・知的財産の価値も含んだ資本のストックの形成ではなく、建築都市であっても耐久消費財であり、経済循環のための道具でしかない。
このように考えると、アレキサンダーの社会的要求と定義した「美しさ・心地よさ」は、社会の要求・目標ではなく、社会の共同幻想にもなっていない。このような点が、アレキサンダーの理論的面白さ、社会思想的意義は感じるものの、特にグローバル化が進んだとされる近年、広く一般社会に受け入れられない点ではなかろうか。

こんなことを書きながら、あらためてウィキペディアで、アレキサンダーを探し、そこから「パターン・ランゲージ」のサイトを見つけて、入ると、凄い。
登録すると、パターンランゲージの詳細が見れたリ、解説もびっしり、こんなこと書かなくとも、概要・それ以上のことがばっちり。
盈進学園の写真もあったりして、完成当時訪れて、感激したのを、思い出しました。その頃も、デザイナーからはモダンデザインではない盈進学園は、やはり見向きもされない・・でも、空間構成に僕は引かれたのを思い出すのです。
そして、このサイトを眺めていると、このような路線もありかな・・と思うのでした。
ぜひ、サイトを眺めてください。写真だけでも面白いですよ。

アレキサンダーの思考過程・人生を考えると、それにダブル建築家がいる。イワン・レオニドフ!(Ivan Leonidov: The Complete Works
ロシア構成主義の建築家。まったく違う!!と叱られそうですが、先端からデザインが大きく変わるその思考過程は、僕には、どうしてもダブってしまう・・・詳しくは機会があれば。

    

2010年4月16日金曜日

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

著者 : 岩崎 夏海

訳者 : -


整理番号 : 1033

分類 : 社会・経済・経営 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:6

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ヒロシの書評:
ジム仲間のチナちゃんから「ヒロシ、読んだほうがいいよ!」って、この本を貸してもらって読みました。
チナちゃんは、自分でリンパマッサージのお店をしているから、ジム帰りに飲みに付き合って、「ヒロシ、もうかってる?・・」なんて言われて、話をしています。そんな、チナちゃんは、ぼくより15歳も若くて、でも「へー、そんな本読んでるんだ!」って思って借りました。
ぼくも、ドラッカーを少しはかじっていて、新訳 現代の経営 (ドラッカー選書)ポスト資本主義社会 -21世紀の組織と人間はどう変わるかは、読んでいます。で、「ちょい、ちゃらけた本だな」って、思いつつ、人生川の流れのままに派なので、まあ読んだのです。


「ストーリーも、ドラッガーの「マネジメント」実践して、弱小の公立高校が甲子園に行く、なんて、随分出来すぎた、題名どおりの話なんですね。題名どおりちゃらけている。だいたい、本のとおり実践して、成功したら、そんな楽なことはない。本を読んでも、なかなか実践できなく、悔しい思いをしている人がほとんどなんですから・・それも経営の話じゃなくて、甲子園だなんて・・ふざけている!?」
と、思うのですが、でも読んでみると、違って面白い。
ひとつに、ドラッガーの「マネジメント」の実際の文章を、野球部のマネジメント的活動にあわせて、丁寧に説明していることだ。
活動の論拠が全て「マネジメント」によっていることだ。案外、「マネジメント」のような経営書は、「当然だろう」って言うことが書いてあるし、事例も実際の経営の話だろうから、思わず、読み流してしまうことも多い。このように実際に即して、どう解釈するのか、読み解いているところが、すごいよ。主人公のみなみも「マネジメント」をボロボロになるまで読み込んだようだから、著者も随分読み込んだろうと思う。
また、逆に考えて、日本の高校野球部で、ここまで、論理的に行動しているところがあるだろうか。それも当事者の高校生自らの行動によって・・。高校野球というと、ながーい練習時間、きつーい練習。もしくは、ある優秀な指導者が、隅から隅まで指導しまくった結果。というイメージが、ぼくの年代には付きまとうのではないだろうか。しかし、2007年佐賀北の優勝、2009年には野球最後進国岩手の花巻東が準優勝となる時代である。読んでると、なんとなく「あり得る!」なんて思ってしまうのだ。「マネジメント」をとおして日本の高校野球の課題を、浮き出させているようにも思える。
もうひとつに、意外と面白いストーリー。最後は同級生の夕紀が、決勝戦直前に亡くなってしまって・・・でも、優勝という、思わず泣いてしまいました。まあ、定番・・って、言えそうですが・・
岩崎先生、「意外と」「定番」なんていって、すみません。でも、本当に面白かったです。


読み終わって、「自分への反省」と「勇気」が入り混じっています。
ぼくは、高校時代ガリ勉の領域でした。たいした出来るわけないのにね・・。我が母校高校(岩手県立黒沢尻北高校)は創立80年も超えるのに甲子園出場なし。最大のチャンスのひとつが私が3年生のとき岩手大会で決勝まで行ったのです。・・うーん、でも、そのときさえ応援に行かなかった冷めている僕がいた!!そして、大学もスキーと個人スポーツ。
仕事も、われが一番とって入る設計事務所ですから・・そして今の僕の悩みがなんとなく社会という組織からの疎外感、限界なのですから・・。そんなわけで、「マネジメント」と組織というのが、私の今に厳然として立ちはだかる、課題というものなのです。それを、この本にあらためて、突きつけられたように感じました。
でも、この本を読んでいると「高校野球」という比較的に身近なテーマが、「やれば出来るかも」という思いにさせてくれます。
最後に「あとがき」がまた面白かった。
これって、作者の方が、ドラッガーの「マネジメント」を読んで、「こんなストーリーの小説があったら面白い」とブログに書き込んだら、編集者の目にとまって、実現したとの事。それも、この時点でamazonランキング6位ですよ。それと著者は芸大で建築学科出身・・大学は違うけど同じ学科。・・うーん、人生どう広がるかわかりませんなー。(とはいえ、裏にはいろいろあるのかもしれませんが・・)
僕も、営業と人間関係がんばろうって、「勇気」もらいました。チナちゃん本ありがとう。読み終わったので、返しますね。

参考


チナちゃんのリンパマッサージは人形町でこちら-->CocoRo
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2010年4月12日月曜日

思考の整理学

著者 : 外山 滋比古

訳者 : -


整理番号 : 1032

分類 : 人文・思想 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:21

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ヒロシの書評:
超ベストセラーって聞いて、ブックオフで平積みされていたので、まあ、読んでみるかと購入。
KNOW,HOW本でしょ、基本は! 知ったところで、なかなか出来ないんだよね!なんて読んだのですが。

先生、よく寝なけりゃ、駄目なんですね。
寝かせないと、アイディアも、人間の頭も。
それに、グライダーから飛行機へ! 自分でコントロールして動くものを、生み出すのって、大変なんですよね。
時間がかかるんですよね。
生み出せないで、悩んでいる僕。少し救われました。

でも先生、原稿のネタ帳を、整理して、年に一冊つくり続けているって、すごいです。尋常じゃなかなか出来ないです。

デモ、でも、先生のこの本の言葉、信じて、がんばります。(もうすぐ50歳の建築家)
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蹴りたい背中

著者 : 綿矢 りさ

訳者 : -


整理番号 : 1031

分類 : 文学・評論 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:33907

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ヒロシの書評:
「文学史上の事件となった127万部のベストセラー。史上最年少19歳で芥川賞受賞作」(斎藤美奈子 解説)だそうである。
金原 ひとみの「蛇にピアス」と一緒の受賞だから呼んでみようかなって、購入したのですが、そんなすごい作品だったのか!!って、改めて知った。
なんか、僕にはぴんと来ない題名だし、気軽に読んだのですが・・
ムム・・読み終わると、なんだか、清涼感!!って言うか、妙に、青春のすがすがしさを感じてしまう。透明さって言うかな?
ジジイが、読むからそう思うのかな?
書いている内容は、青春のやるせなさ、なんだかわからない感情・・それも暴力・事件・セックスがあるのではなく、日常の風景。
若いころの感情が、妙に新鮮に感じられた・・そんな印象で読み終わった。
127万部のベストセラーも、文才のない僕でもなんとなく理解できる感じがした。

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|新訳|科学的管理法

著者 : フレデリック W.テイラー

訳者 : 有賀 裕子


整理番号 : 1030

分類 : 社会・経済・経営 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:9743

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ヒロシの書評:
名著らしいが、旧翻訳はあまりにも高価なので、購入をあきらめたいた。
この新訳は、手ごろなので、つい購入。

この本には、非常に明快な結論がある。それが、古典たる強みであるのだろう。

1.実のある科学を導き出す。(たぶん、有効な分析方法を導き出す)
2.働き手を科学的な視点に基づいて選り抜く。
3.働き手に科学的な訓練や育成を施す。
4.マネージャー層と最前線の働き手の間に温かい協力関係を築く。
(p171.原注。注7を抜粋)
が、結論である。これぞ、マネジメント。
さらに、後段でこう結んでいる。
「新しい時代の到来」(新しい時代とは、初版で1911年)という小段落。
「周りから手助けを得ずに、独力で偉大な成果を上げられる時代は、足早に過ぎ去ろうとしている。いまや一人ひとりが自分に最もふさわしい役目を担い、自分の持ち味を最大限に発揮すると同時に、独創性や自主性を失わずに他の人々と歩調を合わせ、かつ上からの管理にも従う--そんな時代が幕を開けようとしている。」
いままさに、それが加速されているのであろう。

そんな中、自分は、これで良いのか。
建築家とは、これと、間逆の志向性を持つ職業である。つまり、自らの知性と信念から、様々の要素を総合的に判断し、組み上げる能力。「科学的管理法」とは間逆に、いま、世の中に欠けている建築家という接着剤のための職能。そして、PC・IT技術がそれをサポートする。そんな可能性はないだろうか。
しかし世の中は「科学的管理法」による「組織」全盛であろう。建築家も、ごく一部の著名デザイナーのみが、「組織」と共同しながら、生き延びる時代なのか・・。
私としては、!!「統合という建築家の職能」と「IT}で突破口を見出せるのか!!、!!方向転換が必要なのか!!、重要な節目なのかもしれない。
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蛇にピアス

著者 : 金原 ひとみ

訳者 : -


整理番号 : 1029

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ヒロシの書評:
若い女性作家が芥川賞。その上、片方の題名は「蛇にピアス」。発表されてとき、ゲゲ、って思って、読んでたみかったけど・・単行本をかうまでもないとほっといた。でも、文庫でそれも古本を見つけて、読みたくなったのです。
金原ひとみ、は、二十歳で芥川賞ですか。すごいですね。・・こっちは50をまえに・・・
内容は、期待通りって感じ。
もともと、SM的なのには、なんとなく理解できるとこがあるからね。・・生理的に駄目な人もいるでしょうが・・。
でも、それだけでなくて、ストーリーの構想力もしっかりしている感じがしたなー。さらに、心の動き、情景、ディティールもしっかり描いている感じがする。
二十歳のとき、俺は、何してたんだろー。・・そう思うとその才能は、すごいものがあると思うなー。
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星々の舟 Voyage Through Stars

著者 : 村山 由佳

訳者 : -


整理番号 : 1028

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ヒロシの書評:
・最近の直木賞の小説って、どんなの? それとこのごろの女性作家って、何を書いているのかって?思って、購入。
アマゾンの書評嵐さんでは、「父親の再婚で継母の連れ子としてやってきた妹と恋愛関係に陥る兄。実はその妹は父親が継母と不倫していたときに出来た子どもだと知り、近親相姦に悩み妹と別れ、別の女性と結婚する兄。」 と解説していたので、ちょっとエロイの?なんて若干期待したりして・
2009・12・8に読了。が、なんだか、あらすじが思い出せない。家族のそれぞれの短編を、あわせたようなつくりのせいかもしれない。
ただ、すごく印象に残っているのが、家族に形態。小説とはいえ、いろんな家族がいるんだと思った。というか、家族に中でも、それぞれ、いろんなことがあるって言うか。
なんだろう、かたちにはまった家族って言うのが、いまや崩壊しているような感じがする。
大家族→核家族→人生いろいろ家族・崩壊家族って感じでしょ。
僕の子供のころは、父は10人兄弟。父に実家は金物屋さんで、盆正月は、北海道から東京まで散らばっている兄弟が集まり、さらにその夫婦子供も含めて集まるのですから、大宴会でした。そんな雰囲気は、内気な僕は、大の苦手だったのですが。母も5人兄弟で、夏休み、冬休みともなれば母方の兄弟の家に遊びに行って、歳の近いいとこと遊ぶのが、楽しくて町どうしかった。そんな時代でした。
僕は、一人っ子で、典型的核家族。両親は共働きだったので、母の姉のおばさんが、母代わりにめんどうを見てくれている、そんな感じでした。
いまの僕の家。妻と、子供二人。上の娘は高校生になって、妻も忙しそうにしているし、ウーン。家族でがんばるーって感じじゃなくなっている。
そういえば、テレビで、未婚率・離婚率の話をしていた。
改めて調べると。男50歳の未婚率50%、女は6.8%。30-34歳だと、男47%、女32%。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1540.html
離婚率は千人中 「 2.04人」ですが、離婚件数 (261,917組) ÷ 婚姻件数 (714,265組) = 36.6%
http://www.mw-personal.jp/rikon.html
だそうです。
家族自体が変わってしまった。仕事上、住まい・街・都市が随分変わったと思っていたのですが、家族の概念自体が大きく変わってしまった。
そんな、家族像が印象的でした。
子供のころ、あまりラブラブのそぶりを見せなかった両親も、年老いて、二人で「励まし合って、暮らしている」って、手紙に書いていると、「幸せなんだなー」ってつい思ってしまう。
いまの時代、本当に幸せの社会に進んでいるんだろうか?って、つい後ろ向きに考えてしまうのです。
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日本の思想

著者 : 丸山 真男|丸山 眞男

訳者 : -


整理番号 : 1026

分類 : 人文・思想 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:2604

amazonで見る(右タイトルをクリック)) タイトル:日本の思想 (岩波新書)

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ヒロシの書評:
この本、思想・哲学という売れないジャンルの本の割には、そうとうの売れ筋ということらしい。うーん、どこかで書いていた。
めちゃくちゃ単純にしてしまうと、「長いものに巻かれろ的発想と、深く考えずに目先の利にみんなで一緒に飛びついちゃう」そんな日本人への批判書なのかな?
でも、そんなにいっぱいの人が読んでいても、なんだか、変わらない日本・・・なんだろうなって、思ってしまう。
本書の本流からすると、細部の話かもしれないが、僕の「すごーく」気になったのは、この部分。
「学問や芸術における価値の意味」p177で、下のように言っている。
「芸術や教養は「果実よりは花」なのであり、そのもたらす結果よりもそれ自体に価値があるというわけです。こうした文化での価値基準を大衆の嗜好や多数決で決められないのはそのためです。・・・・政治や経済の制度と活動には、・・せいぜい「先例」と「過去の教訓」があるだけであり、それは両者の大きな違いを暗示しています。政治にはそれ自体の価値などというものはないのです。(p178)」
ここに、建築、もしくは設計という行為の悩みが隠されていると思う。建築・設計という行為は、「社会的資本を蓄積する文化的行為」である一方、「経済行為」であるという現実。建築・設計行為は、その二つの相反する綱引きの中にある。
どうも、世の中は「経済行為」に、重点が置かれているような・・。果たして、建築は、顧客満足度のみを優先し、見えざる手が、美しい建築・街を築くことが出来るのであろうか。
「そんなことを、言っていては、仕事は取れぬ。経済的実現性がなければ、プロジェクトは実現しないのであるから。まずは、実現せよ。そこに設計者の文化的行為が少しでも反映されるのだから。かつて建築家・村野藤吾が「建築に1%の村野が・・」といったように。」
もしくは、こうもいえるか。「丸山真男のそのような考えを、真として、全て受け入れていいものか。芸術的・文化的活動や思考が、全て経済行為に組み込まれないともいえまい。デザインとして経済活動にコミットしながら、芸術的・文化的活動や思考を実現する建築家も多くいるのであるから・・」
その前に、君の設計は、「芸術・社会的領域なのか?」と問われると・・・それは、自分でそう思っているしかないのである。
まあ、そう、自分に言い聞かせ、「芸術文化的行為」と「経済行為」の悩みは、続く・・。

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日本文化史 第2版

著者 : 家永 三郎

訳者 : -


整理番号 : 1025

分類 : 人文・思想 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:175336

amazonで見る(右タイトルをクリック)) タイトル:日本文化史 第2版 (岩波新書 黄版 187)

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ヒロシの書評:
これもたまたまブックオフをぶらついていて購入。
家永三郎といえば、「教科書裁判」の人、って感じ。僕の世代かな、子供のころNHKのニュースでよく出ていたね。政治思想のリベラル派・反権力志向の代表ってイメージがある。
それで、この本を、手にして、へー!って思った。
学校で習う歴史って、どっちかって言うと、どんな人がいて、人の行為と行為の結果の権力に関係がどうだって、話が中心ですよね。文化については、だいたい時代ごとの章の最後にまとめてこんなのがあったよ、代表的な人と作品名を覚えなさい!って感じで、お目かみたいな感じじゃないですか。
僕は、どちらかというと、その章末の「文化欄の解説」が、結構好きだったんですね。ヘレニズム文化の解説・写真、法隆寺の写真、お城の写真、地理では大ロンドン計画とかブラジリア・キャンベラの図を見てニヤッとしていた。のっていうか、人間関係って興味なかったのかも(理系思考で、これ、やっぱりもんだいなんですが・・)。
で、この本を読んで、文化中心に歴史が語られ、歴史が「ちょいと、身近に感じられた」のです。
なるほど、1959年の著者のはしがきでは「文化のそれぞれの分野を対象とした特殊文化史というもの・・・の書物はりっぱなものがたくさん世に出ているが、日本文化全般の発達を概観した日本文化史の通史は、少なくとも戦後あまり出ていない。・・・新書の中に日本文化史の1冊が企画され、それが著者に割り当てられたのは、そういう理由によるものであった。」とある。思わず納得である。
薄く、広くが基本だあるが、やはり視点を変えてみることは面白い。
私の気ななった点を、3箇所ばかり。
まずは源氏物語。「『源氏物語』といえども、全体の組織の弱いことはたしかで(p89)・・『源氏物語』の最大の強みは、長編の構想にあるというよりは、・・・多数の人物の個性がそれぞれ的確に書き分けられていること、内面的葛藤が微細にえがき出されていることにおいて、近代小説に恥じない描写力を発揮していることにある(p90)」のだそうで、まさに日本人好み、日本文学の本質そのものだあるのだろうと納得した。
次に「理論的な著作の出現」として、鎌倉時代を論理的思考の転換点としていることである。
「理論的思弁の成果として芸術の成果に匹敵するものにとぼしい事実は、否定できまい。その点鎌倉新仏教は、中国や西洋の哲学思想に比べても遜色のない、世界人類思想史の最高の所産のうちに数えられる高い価値を持つ精神遺産である。抽象的思索に長じない、日本人の文化の中では、類例の少ない論理的業績といえるであろう。(p133)」としている。
その例として、
1.藤原俊成、藤原定家の「幽玄」の思想
2.北畠親房「神皇正統記」によろ歴史の論理化
3.伊勢外宮神官による「神道五部書」による民族宗教の論理化
4.鴨長明「方丈記」、吉田兼好「徒然草」の哲学的思索
5.朱子学の伝来-禅宗文化の一貫として、朱子学が禅僧の間からまず研究
を、指摘している。
最近私は、日本の建築文化のターニングポイントは、室町時代にあるのだと思うようになっている。遡れば、60年代丹下健三の弥生・縄文の議論、磯崎氏などが論ずる伊勢神宮・その対極としての法隆寺などと、文化的原点を遡ることも可能であろう。
しかし、書院という日本の住宅スタイルが生み出され、禅宗寺院の明らかに意図的な石庭などが生まれる。さらに、その観念的延長に、わび・さびの世界、茶室・数寄屋という建築空間が広がったとすると、そこは大きなターニングポイントであったように思える。
さらに、建築文化ターニングポイント・室町時代の背景には、うえの、鎌倉時代の「論理的思考の転換」であったとすると、非常に頷けるのである。
著者は「理論的思弁の成果として芸術の成果に匹敵するものにとぼしい」と書いているが、「理論的思弁の成果として芸術が、生まれた」とも考えられる。「幽玄」「無常」「簡素化」「論理的」思考が、その後の建築デザインを決定付けたとすると、あまりにも納得なのである。
ちなみに日本で始めての建築家らしき人は、誰か。磯崎新・伊藤ていじらは、重源と言っているように記憶しているが、まさに、東大寺南大門を建立した鎌倉時代の人である。
そんなことで、建築の流れと、文化的な流れが一致したような、プチ発見で、不学な私のプチ喜びに、ニヤッである。
三つ目は、チョイゴシップ敵ネタ。(p199)「「和服」の特色を、日本古来の服装の伝統であるように思ったら、たいへんな考えちがい」だそうである。
「生産的役割がなく、自主的活動の自由を失って、いわば男性の性欲の対象に過ぎない地位に堕ちた、武士や上級町人層の女性たちは、能率を犠牲にしても、人形的な「女らしさ」を示すにふさわしい不自然な服装に甘受せざる得なかった。」のだそうで、「肉体労働に明け暮れる農村では、・・・近代に至るまで、筒袖と短い裾の上着または股引とからなる能率的服装をやめなかった」そうで、・・
いや、まてよ・・・「男性の性欲の対象に過ぎない・・・富裕層の女性」もいるし・・、いまは逆転して「男性の性欲をもてあそぶ・・・富裕層の女性」もいるから・・・うーん、なんだか、わかねー。
以上。

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車輪の下

著者 : ヘッセ

訳者 : 高橋 健二


整理番号 : 1024

分類 : 文学・評論 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:54311

amazonで見る(右タイトルをクリック)) タイトル:車輪の下 (新潮文庫)


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ヒロシの書評:
読んでいない名作を読んでみたくなって。
ヘッセの自伝だそうで・・
勉強のできる少年。

うーん、やっぱり、一度は、そんな体験がしてみたいなー。
僕自身は、ずーっと劣等感の固まり。ま、ちょっとはできることもあるのだろうけど、うーん、中途半端。
ヘッセ少年は、勉強で、頭が痛くなることもあるんだね。
僕は学生時代、眠気だけが襲ってきたような。・・いまは、頭がいたーいけどね。

出来る少年は、それなりに悩みも深いのかもしれない。
友人・人生・生きるって事に・・深く考えるのだろうね。

でも、最後が、あまりにも悲しい結末だ。
酔っ払って、河にはまって、死んでしまう。
・・・悩み深い人間も、どこかで救済される望みが欲しいな。
さいごは、あまりに悲し過ぎる。
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日本の庭

著者 : 立原 正秋

訳者 : -


整理番号 : 1023

分類 : 文学・評論 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:405907

amazonで見る(右タイトルをクリック)) タイトル:日本の庭 (新潮文庫)

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ヒロシの書評:

給料振込み後、フラーっと、ブックオフによる癖がある。

近所は、たいした本屋もなく、ブックオフは、安いし、不況のときは、結構、掘り出し物があったりする。フロイトの「夢判断」は、読みたくて、インターネットで買ったけど、新品が売っていた。

で、ボーっと見ていると、立原正秋・日本の庭 (新潮文庫)が目にとまった。北原白秋・立原道造となんとなく、名前がダブって・・・「へー、そういう人が、庭の本書いてるんだ!」て、ボーっとした頭で、早合点。それと、表紙の庭が、「慈光院」の庭に似ていて(実は、詩仙堂)、気になって買ってしまった。最近は、面倒な本を読むのに、少し疲れていて、気軽に読めるかなとおもってね・・。立原正秋先生は、すごい、作家だったんだ。知らなくて、すみませんって感じ。

紹介の庭も、半分ぐらい?、いや1/3かな?、それぐらいは見たことがあって、なんとなく納得できた。枯山水は、よく「禅の思想」と結び付けて、説明されて利しているのを、見かけるが、先生は、それをほぼ全否定。実用性と、庭師の美意識によって、説明していたように思う。デザインと思想なんて、あんまり結びつかない??確かにそうも思うことがあるけど、逆に、作る側から美意識を追求すると、思想的背景にいちゃるかんじもする。どうなんだろうね・・

そう、庭の本を読んだのも、最近は、家をつくるオーナーも、庭の美意識のかけらもないような人が、ほとんどって感じがする。家自体が、外と繋がる、庭や外部と一体的なイメージがなくなってしまった。閉ざされた、家・・。その中で収まっている感じがするな。

庭といわず、街や、都市との接触もない。ひたすら、囲まれた家の、コスト、断熱性能、部屋うちの施設で完結している。これで本当に、エコロジカルとか、100年住宅とか、都市の創造とか、言えるのだろうか。

家が、街と、自然と一体のシステムとして、できれば、経済のシステムとして、考えられるのが、社会的理想ではないかって、感じるのです。

ということで、庭の話は、僕にとっての、清涼剤って感じでした。

2009.8.2「建築家ヒロシのデザイン生活」再掲



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丸山真男『日本の思想』精読

著者 : 宮村 治雄

訳者 : -


整理番号 : 1022

分類 : 人文・思想 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:1431139

amazonで見る(右タイトルをクリック)) タイトル:丸山真男『日本の思想』精読 (岩波現代文庫)

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ヒロシの書評:

「逆読みのすすめ」


僕も、どちらかというと、原本主義で、「解説の類はあんまり当てにしていない」というのが、僕の傾向。

でも、才気原本を読んで、その解説を読むって言うのも、結構いける、って最近思った。それで、丸山真男もちょっとかじってみたいなって、思っていて、本屋を覗いてたらこの本があって、「エイ、解説本」から読んでしまえと思って、この本を購入。

原本を読む前に、解説本を読んでしまう逆読み。

で、読んでいると、著書の宮村先生も逆読みではないか。

こちらの逆読みは、解説を原書の最後の章から解説するってもの。

原書では、「1.日本の思想 2.近代日本の思想と文学 3.思想のあり方について 4.「である」こと「する」こと」という章立てであるが、この解説では「4.「である」こと「する」こと→1.日本の思想 2.近代日本の思想と文学 3.思想のあり方について」の順番となっている。

そういう読み方もあるのかって、チョイ発見。

これは、「「近代」と「開国」というテーマをめぐる思索を通して、やがて「日本思想史」全体に対する丸山のパースペクティブが立ち現れてくる思想的コンテクストを示す作品として理解できる・・・そのためには・・・おしまいから逆に読み返していくことにします。それは、単に、最初の論文が一番難解だからというだけでなく、そうした順序で読むほうがこの書物のコンテクストを良く捉えられると思うからです。」(p29)ということで、なるほど。

・・

で、読んでみると、やっぱり原書を読んでいることが前提なので、・・・うーんー・・・

しかし、宮村先生の解釈、時代背景の解説もあるので、原書を読んでいなくても、ぼんやり理解できたような・・感じが。

・・

その後、「日本の思想」を読んで、私が気になる部分を、十数か所チェックしておいたのです。それで、改めて、この解説本で、宮村先生が「日本の思想」から引用した部分と合致した部分があるかな、と思って見直すと、一致していたのは、ただ一箇所。

「日本の思想」p177「学問や芸術における価値の意味」で、アンドレー・シーグフリードから引用して用いてる部分で、

「教養においては、しかるべき手段、しかるべき方法を用いて果たすべき機能が問題なのではなくて、自分自身について知ること、自分と社会との関係や自然との関係について、自覚を持つこと、これが問題なのだ。」(・・精読p75)

にぶぶん、1箇所のみ。

やっぱり、私の読解力はこんなもの? 読解の方法は人によって様々なのだ!とは、なかなか言い切れませんし(優柔不断な俺)。

・・

逆読み・逆読みの邪道読書もたまにはいいかも。




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斜めにのびる建築-クロード・パランの建築原理

著者 : クロード・パラン

訳者 : 戸田 穣


整理番号 : 1021

分類 : 建築_評論 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:309630

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ヒロシの書評:

久しぶりに建築の本を読んだという感じ。

とはいえ、この本の原書は、1970年に書かれている。日本では、機能主義全盛。丹下健三が大阪万博でお祭り広場を作り、メタボリズムに代表されるように、若き建築家は、皆都市を論じ・空想的都市を描いていた時代である。(アレー、改めていま、メタボって書いてみると、変な感じ。おデブ?建築?じゃありませんー)

解説では、現在活躍しているコープ・ヒンメルブラウ、ダニエル・リベスキンド、ジャン・ヌーベルが、この著者の影響を受けたとのこと。前の二人はポストモダン以降の、デコンストラクションの範疇に属しそうだし、ジャン・ヌーベルにしても、機能主義には陥らない「ヌメッと感」のデザインは、「斜めの建築」というお題になんとなく、符合する。

私事ですが、3D設計から、垂直・水平でない曲体建築の可能性を、模索しているし、そんなことこら読んでんでみた。(いまや、3D設計ではなくBIM、曲体ではなくアルゴリスティック、パラメトリック・デザイン、などと歌われているので、もっとぶっちんでいるかもしれない。)

読んでみると、意外と機能主義的発想から、「斜めの建築」を提案しているのが、以外であった。

垂直水平システムに対し、「斜めの建築」の優位性は、①最短の移動距離②垂直・水平移動の移動スペースの無駄の解消、を主張する。

また、「垂直水平システムの空間が孤立をもたらすのに対し、斜めめの建築は交流をもたらす」と、社会的趨勢は「垂直水平システム」まっしぐらの中、批判的精神で、新しいシステムの構築をめざす、反骨の精神を感じた。

「垂直水平システム」を読むと、モシェ・サフディを連想してしまったが、そういえば、モシェ・サフディは、トンと忘れていたー。

資本主義・消費社会の中で、「垂直水平システム」は現在のところ圧倒的優位というところか。「垂直水平システム」のまったく単純なシステム。誰でもすぐに理解できる。つまり、この単純極まりないシステムは、グローバリズムと大衆性に合致している。さらに、「高さ」と「孤立した空間」が、個人の欲望を限りなく満足させる道具となる。「高さ」と「孤立した空間」は、顧客満足度NO1の空間の提供ということであろう。

実際、「斜めの建築」を実現しようとすると、空間の配置は、非常に複雑で・難しいものとなる。エレベーターなどの移動システムとの調整もはるかに難しい。部屋に対する視界や日照のコントロール・予測も難しい。

というわけで、モシェ・サフディのような建築もすっかり忘れ去られた。

しかし、PCぼ出現による革新がアルゴリスティック、パラメトリック・デザインを生み出そうとしているいま、難題を解決しつつ、「斜めの建築」が、かたちを変えて生まれる可能性もあるように感じる。

しかし、最大の敵は、資本主義・消費社会システム?なのかな??

・・

形態操作が選考していると思っていた、コープ・ヒンメルブラウ、ダニエル・リベスキンド、ジャン・ヌーベルが、こんな批判的精神の中から生まれたとは、納得できた部分でもある。

才能のあるなしは別にして、批判的精神が、このような建築家を生んだとは、少しばかり、勇気付けられた。

20010.3.22



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男子の本懐

著者 : 城山 三郎

訳者 : -


整理番号 : 1020

分類 : 文学・評論 | ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:1814

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ヒロシの書評:
確か新聞の書評で、城山三郎の代表作とも言える作品・・のように紹介されていて、読んでみたくなる。
昭和5年金解禁を遂行したときの総理大臣浜口雄幸と蔵相の井上準之助の話。
金解禁の経済的評価、文学的評価はようわからんもですが、・・・
でも、二人の苦境から立ち上がって、事をなす、そんな姿に感じるものがありました。
総理大臣浜口雄幸は、だって、野党にいて、随分遠い道のりだったと思いますが、それを乗り越えて、総理大臣になったんだから、すごいでしょ。
それも、野党のときは、なんか、完全に手弁当の乗りなんですから。
その上、総理大臣になってからは、自らの信念である金解禁を、実行してしまったってのも、すごいと思うなー。
そこには、井上準之助という男がいて・・・エリートではあるけれど、彼も左遷させられた格好になったけれど、その間留学先で本を読んで研究を欠かさず、金解禁の立役者となった。
最後は、二人とも暗殺・・・劇的過ぎます。
当時は、スゴーイ社会だったんだとも。
まずは、そんな混沌とした社会にあって、この二人は、「目標を描いていた」というのがすごいと思うし、
才能は、まったく違うとはいえ、逆境から、自分の信念を成し遂げる姿は、すごいと思う・・勇気付けられます。
そんな「勇気付けられる」ところが、城山三郎の正攻法でいいところなんですかね・・



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2010年1月19日火曜日

ミース・ファン・デル・ローエ vol.2 建築文化 vol.53 no.615 1998年

著者 : -

訳者 : -


整理番号 : 12

分類 : 建築_作品   |  ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:10000000

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ヒロシの書評:
ヨーロッパ時代の特集続く、アメリカ時代の特集。最初の掲載写真が、レイク・ショア・ドライブ。それにシーグラム・ビル、シカゴ連邦センター、ベルリン新国立ギャラリーと続く。
なんと、最初の掲載写真が、レイク・ショア・ドライブあることは印象的だ。アメリカ時代は「経済性・プラグマティズムを代表する建築だなければならない」ということか。これを最初に知ったのは、大学の神代雄一郎先生の意匠の講義のスライドだったと思う。近代建築に批判的立場だったと思うが、この建物に関しては案外好意的だった印象がある。ただ、「エントランスのトラバーチンの大理石は、凍害で割れていました」というスライドのカットで、チクリとすることも忘れていなかった。
この延長上にシーグラム・ビルがあるのだろうが、シーグラム・ビルの威厳のある巨大な結晶・悪く言えば権威の象徴のような建築に比べると、同様のデザインでありながら、タワーとしての明快さ、ツインビルの絶妙の配置コンポジション、近代建築に失われがちな優雅な質感は、いかにも湖畔にふさわしく、美しい作品だと思う。
また、最後には、「ニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵」のドローイング・図面が、ヨーロッパ時代・アメリカ時代をとおして、主要なものが掲載されていて、ありがたい。

評論・対談もいくつか掲載されている。
八束はじめ「極限の家に向かって」では、「・・アメリカでのファーンズワース邸といういまひとつの(そして、私の見解では、おそらく真の)ピークに達する・・」p70とし、近年のミース再評価の傾向に、反逆ののろしを上げている。まあ、文脈は無視し、冒頭の一部を抜き出しているので、そんな大仰の話ではないのであるが、実は括弧の、「(そして、私の見解では、おそらく真の)」が、八束氏の本音ではないのかと勝手に解釈した。
この論文の中で、気になる字句がある。「結晶」である。

実はアメリカ旅行でシカゴを訪れ、IITのクラウンホールを見に行った。当時は、周辺の地域は非常に治安が悪い雰囲気だった(とにかくそう思えた)。IITキャンパスでは、夏で、時期的に学生がいなかったこともあろうか。クラウンホールまで近づき、さあこれからゆっくり見ようとすると、パトカーのサイレンが鳴り出し、妻と一緒にあわてて、少し人通りの多いところまで、逃げかえった思い出がある。しかし、そこで、目に焼き付けたクラウンホールは、まさに「結晶」のような建築であった。
私の体験上、「結晶」という言葉がふさわしい建築が、もうひとつある。ローマで訪れた、ブラマンテ設計の「テンピェット」。集中式ドームの原型といわれる。中庭に建つ、小さなこの建物は、これ以降の原型となるべき、まさに完全なる「結晶」に思えた。
材料も、大きさも、立地環境もまったく異なる建物であるが、クラウンホールは、まさに現代の「結晶」建築にふさわしく思えた。ガラスと鉄の「結晶」。いわゆるユニバーサル空間の「結晶」。近代建築ひとつの特徴である材料の視点、もうひとつの特徴である空間的視点の双方から、原型となるべき「結晶」と思えたのかもしれない。
いや、そんな硬く苦しい理解ではなく、そこに「存在するだけで美しい」という「結晶」というイメージが、クラウンホールについて離れないのである。

八束氏はこのような表現をしている。(たぶん文脈上アメリカ時代以降の作品をさすのだと思うが)「それ以降、ガラスの全面化によって柱はシステムとして建築を包囲しだす。・・内部の自由なオブジェの大意穂がつくりだしていたそれまでの流れるような空間は消失し、壁や柱のようなここの要素にも増して、空間の全体が硬い結晶のように凝固する。」p71。
また、「ミースはアメリカではじめて物質主義者になれてのである。その都市部でのオフィスビルやアパートの仕事には、彼の新たな結晶化した箱によるスタイルがいかにも向いていた。」p76とも、表現している。
むろん八束氏は、詳細な実例の分析を進めながら、結論に至るのであるが、私は、この結晶というイメージが、ほかの近代建築家にはない魅力の源泉となっているのではないかと思う。
八束氏もさいごにこう結んでいる。「ミースの真のピークに関して理解するのは難しい。・・もうひとつのピークであるクラウン・ホールへと至るIITへに建物について述べなくてはならないにせよ、ファーンズワース邸がバルセロナ・パビリオン以来の展開に対する究極の解答(・・であったことには間違いない。」)
まさに「クラウン・ホールへとファーンズワース邸」の復活宣言!

これ以降は、完全に私のミース論(って言うか、ざつだん)となるが、書き進めたい。

前号の対談で八束氏は、設計者にはイメージしやすい例をあげて、こんな話をしている。
「磯崎新さんと対談したとき、磯崎さんは「ミースはやっぱりヨーロッパ時代が面白い。アメリカに行くとデベロッパーに巻き込まれちゃって面白くない」と言うんです。レムはそうじゃなくて、シカゴのフェデアルセンターみたいなものが面白いというんですね。」
君は、磯崎派?・レム派?って言うこと。設計屋にとっては、非常に明快な気がするでしょ。
でも、共通点があって、どちらも、設計でデザインを引用しながら、かつ、デザイン展開がしやすいって感じがする。まさに、現在のデザインは、このような展開手法に頼っているように思う。

しかし、「クラウン・ホールへとファーンズワース邸」の「結晶」につながるイメージが、ミースのほかの近代建築と異なる源泉であるとすると、いささか話がややこしい。
時期的には「クラウン・ホールへとファーンズワース邸」は「磯崎派?・レム派?」のちょうど、真ん中である。
この「結晶」につながるイメージ源泉は、記号的操作により得られるものでもない。たとえ、ミースの列柱のコンポジションが、古典建築に似ているからといってそれをまねても、これらのミースの空間に迫れないことは、ポストモダンの実験で明らかである。
そして、このイメージの源泉が、実際どこから引き出されるかと考えれば、「システムとディティール」というのが、前号の八束氏の評論「ミース論の現在」から、導き出した結論である。
実は、「システムとディティール」というのが大変厄介者である。まず、システムとは何ぞや。社会的状況・思想的背景・施工環境により大きく変わる。建物ごとの設計目標によっても変わろう。
たとえ、システムが構築できたとしても、ディティールまで、ひとつの設計思想により一貫したシステムを築くのは、至難の業である。
さらに、さらにである。その、一貫した結晶のようなシステムは、一度つくりあげると、簡単には、改変できない。デザインの展開が容易ではないのだ。ミース・ファン・デル・ローエの「結晶」としてのデザインは、いくら改変しようが、ミース・ファン・デル・ローエであり。下手にその「結晶」のシステムを下手にいじるならば、恐ろしいほどキッチュで、みすぼらしい建築になってしまう。
「結晶」の「システムとディティール」のデザインは、このようなジレンマに落ちいってしまう。
これは、何もミースだけではない。ルイス・カーンにおいても、同様である。ルイス・カーンのデザインをどういじっても、ルイス・カーンのそれであり、苦し紛れに、丸い、または三角の開口を開ければ、ルイス・カーンのコピーとなるか、恐ろしいキッチュなデザインとなる。といって、ルイス・カーンの理念を研究したからといって、新しいシステムが沸いて出てくるわけでもないのである。
これが、近代建築の「結晶のジレンマ」。

やっぱり、「磯崎派?・レム派?」となり、デザインを展開、消費する?。消費の行き詰まりには、システムとまでは行かないまでも、デザインとは、多少距離を置いたプログラミングとか言う考え方で、システムの部分部分を適度に改変するというのが、近頃の傾向ではないだろうか。
しかし、そこでも何かが足りない。

さてどうする?PC/ITにたよるしかないか・・ということで、複雑系・アルゴリズムに向かうしかないのかな、とも思うのです。


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ミース・ファン・デル・ローエ vol.1 建築文化 vol.53 no.615 1998年

著者 : -

訳者 : -


整理番号 : 11

分類 : 建築_作品   |  ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:10000000

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ヒロシの書評:
ミースの手ごろな作品特集。ミース前段のヨーロッパ時代の特集。最初に、再現されたバルセロナ・パビリオンの豊富な写真が掲載されている。また、東京大学工学部建築学科所蔵バルセロナ・パビリオン青図(たぶん実際の実施設計レベル)も興味深い。
ポストモダン以降のミースの再評価が、このヨーロッパ時代を、中心にされている匂いがプンプンの、特集の構成のように思える。
掲載の批評も興味をそそられる。

ビアトリス・コロミーナ氏の「ミース・ノット」では、期待通りのマスメディア論を展開。「この計画(フリードリヒシュトラーセ設計競技)は、ここ数年私が論じてきた例証となるものだ。すなわち、近代建築が<近代的>足りうるのは、・・・ガラス、鉄、鉄筋コンクリートの使用においてなのでなく、メディアとの積極的関与、つまり出版物、設計競技、展覧会などの関与においてなのである。・・・フリードリヒシュトラーセ設計競技、『G』、『曙光』などの文脈においては、近代建築のマニフェストに変わってしまったのだ。」(p86)と。
さらに、ミースについては、「ミースの建物において<重要であるのは>、それらが実際にどのように建てられているかでなく、それらが<どのように見えるか>なのだと認識することである。ならば、重要なのはそのイメージ、写真におけるイメージなのだ。」と。このあたりが、再評価のひとつの視点。
杉本俊多氏の「シンケルとミース」では、再評価のもうひとつの視点、古典主義による影響を解説している。当時ドイツのロマン主義・表現主義・構成主義の影響の指摘もなるほどである。また、CGによる復元と実際のミースのドローイングの比較は、改めて、をビアトリス・コロミーナ氏の「マスメディア論」納得させるものであった。
八束はじめ氏は、「ミース論の現在」により包括的解説をしている。うえの、再評価の視点も、八束氏の受け売り?かもしれない。具体的な、再評価の系統・本の解説もうれしい。
ミースの本は2系統。「MoMAの系統の(ジョンソン、グレッサー、ドレクスラー)とIITの系統(カーター、スペース)」に分かれ、前者は「膨大なドローイングの寄贈を受け・・管理した人」、後者は「いわば門下」だそうです。
「他はスイスのブレーザー・・、ミースの全面的お墨付きのある本」とのことで、この本は、僕がミースの感覚に最も近い作品集かと思い購入したのですが、結構いい線を行ってたのですね。
「MoMAのドローイング集も20巻のアーカイブとして出て、」といってますから、基本的にはこれがミースを一応網羅した作品集なのでしょう。蛇足ですが、1996年アーキテクチュア・オブ・ザ・イヤー展で、磯崎新氏の所蔵本が復元されていたのですが、そこになにやら膨大なミースの作品集があって、何かと思っていたのですが、たぶんこれだったのですね。
それと、その後の評論については「ボォルフ・テーゲットフ、リチャード・ポマー、フィリッツ・ノイマイヤー」ろ「シュルツ」が「新世代のミース研究における四天王」だそうである。
批評の内容で僕が気になったのは、システムとディティールについてだ。「システム=言語の理解というのは、ものを見て感じるというような、いわば抽象論的にはできないものです。注意深くディティールと全体との関わり、・・を仔細に見ていかないといけない」(p124)「ディティールとしてみていても駄目です。システムなんですから。」(p125)とし、ミースの作品について「原理主義的というより、建物のスケールとかに合わせて臨機応変にディティールも変えていると僕は思う。それを理解するには、それなりにディティールのわかる人じゃないと無理でしょう。・・ディティールにはそれなりの倫理というか生理みたいのものがあって、・・コーリン・ロウのような美術史家タイプの人だとどうしてもこの辺りが限界になります。本当の細部には踏み込めない。」と指摘しています。
視覚的・観念的批評に傾きがちのデザイン論であるが、全体を構想し、システムに考えをめぐらせ、ディティール・細部にいたる構想を常に抱く、建築家癖というか、設計者の視点から、ミースの理解を必要としていることに、僕も同感するところである。
そして最後で、これは文脈とは関係なしに、語句だけ選んだのであるが、「ファーンズワース邸と双璧であるクラウンホール」という言い回しで「ファーンズワース邸とクラウンホール」がミースの頂点であるかのよう思わせぶりな表現をしている。ミース批判の最大の標的「クラウンホール」が、実は「システムと美しさ」を達成した頂点に当たる作品であろうと、感じているのである。この思いと、八束氏の批評が若干コミットし、思わずニヤッとしている。

とことで、ミースの本を整理しつつ、木になる言葉があった。
Less is more.
ミースの格言とされるが、「ミースが実際に言った言葉、もしくは書き表した言葉」なのかということです。
あまりにも聴きなれた言葉に、つい、ミースが、講義か、文章で発表した言葉と思っていたのですが、パラパラ本をめくっても出てこないし、インターネットで調べても出てこない。
他の、ミースの言葉を拾っても、このようなデザインと直結した言葉は、使っていない。
もっと哲学的・もしくはもっと理念的表現が多いようにも思う。これは、ミース自身の言葉ではない・・と怪しんでいた。
ヒントがありました。
ビアトリス・コロミーナ氏の「ミース・ノット」p85での記述。
「著名な宣言・・(Less is more)」(フィリップ・ジョンソンによってミースの言葉とされた*26))は、ひとりの建築家が発したそのようなわずかな言葉がこれほどまでに多くの公衆に届いたことは類を見ない」と。
注却*26)には「Pilip Johnson,Mies van der Rohe. p49」とある。
うーん、フィリップ・ジョンソンが絡んでいたか。上の原文を見ていないので、ミースか、ジョンソンか、それともこれは解明不明なのか。わかっているのか。いまだ僕は疑問?
知ってる人がいたら教えてくださいね。


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2010年1月16日土曜日

The Art Museums of Louis I Kahn

著者 : Patricia C. Loud/Louis I. Kahn

訳者 : -


整理番号 : 167

分類 : 建築_評論   |  ヒロシの分類 : ルイス・カーン ,- | amazonランキング:10000000

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ヒロシの書評:
イエール・アート・ミュージアム→キンベル・ミュージアム→イエール・ブリティシュ・アート・センターの一連の美術館作品は、ルイス・カーンの建築作品の頂点をなすものといっても、誰も依存はないでしょう。

またそれは、彼の思考の過程と言ってもいいのかと思います。国「の古典的・現代的・未来的デザインの発露に成功した、イエール・アートにはじまり、国「と光・陰の完成・終着点を示したキンベル。個人的には、決してこれを超える建築はないのではないかとも思う。

さらに、外装、光の取り入れ方、ディティールの繊細さという点で、ますます完成されたイエール・ブリティシュ・アート。

政治同様、歴史が、その価値を判断するとしたら、いま、2010年ころ作り出されている建築は、このカーンの美術群に比べれば、随分陳腐な物に思えてならないのです。

その、設計過程を解説しているのがこの本。

たしか、イエール・ブリティシュ・アート・センターで、購入・・・。



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2010年1月11日月曜日

ミース再考―その今日的意味 (SDライブラリー)

著者 : ケネス・フランプトン

訳者 : 澤村 明|EAT


整理番号 : 598

分類 : 建築_評論   |  ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:1538909

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ヒロシの書評:
題名ズバリ!ミースの今日的意味を考える著作。
最初にミースの生涯がデビッド・スペース氏により概説され、次に、ケネス・クランプトン氏による作品解説がされたいる。後段は、ポストモダニズム以降の論客が、現在のミースへの批評を加えるという構成である。
ポストモダニズム以降の論客とは、コーリン・ロウ、ピーター・アイゼンマン、スタンリー・タイガーマン。コーリン・ロウは、コルビジェとミースを古典的デザインから再解読したポストモダニズムの火付け役の一人であり、スタンリー・タイガーマンは、ポストモダニズムへ傾斜した代表的建築家の一人。ピーター・アイゼンマンはデ・コンストラクション(ポストモダニズム以降の建築潮流)の代表的建築家だ。

それで、ミースの今日的意味とはといわれると・・・結論、レム・クールハースのデザインとなった。といえば、単純すぎですか?

ポストモダニズムは、近代建築が捨てた古典的様式と装飾を、記号操作という手法で、時代に適合するように新しく復活させたといえる。さらに、デ・コンストラクションは、近代建築のユニバーサル・スペースそのものを、記号的手法で、再構築した建築といえる。
そこで、古典的イメージの記号操作でなく、ミースのデザインを記号的操作で、再構築たらどうなるか・・それが、レム・クールハースのデザイン。
単純に考えると、私は、こう考えている。

しかし、現在2010年では、複雑系・アルゴリズミック・曲体のようなPC利用の新たなデザインに進もうとしている今、また、新たなミースの今日的読解が必要になる??かもしれないと私は密かに思っている。
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評伝ミース・ファン・デル・ローエ

著者 : フランツ・シュルツ

訳者 : 澤村 明


整理番号 : 360

分類 : 建築_評論   |  ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:578083

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ヒロシの書評:
この本は、娘が保育園のころ、マンションの庭にビニールプールを張り、娘をビニールプールに入れながら、僕もテラスで花柄のビキニパンツ姿で、この本を、読んでいたのを思い出す。会社を辞めて、俺も、ミース・ファン・デル・ローエに、あやかろう、いや、ひょっとしたら超えてやろう、見たいな、巨匠を冒涜ともいえる態度で、読んでいたのを思い出す。
やー、若かったんですね。たぶん、12から15年前かな。

今解説を読むと、それまでミースの生い立ちが今ひとつ明確でなかったのを、フランツ・シュルツ氏が、解き明かした話題の本であったようだ。

記憶に残っている話も多い。大邸宅を設計して、実物大の全体模型を作ったとか。巨匠の例に漏れず、家庭にはあまり恵まれず・・というか、少し女たらしのイメージが・・。背広・ぼうし・葉巻全て超一流を常に着用-なるほど、なんとなく理解できる。
一番印象的なのは、ファンズワース邸の訴訟問題かな。ファンズワース女史の、ミースに対する恋心?とも言える感情をつかみ、彼の理想とも言える凝りに凝った建築を実現したのであるが、結局、ファンズワース女史の心がさめるのと同時に、工事費と通風などの性能問題で、泥沼の訴訟問題を招いてしまう。美しい建築と思っていたら、そんなことがあったんですね。

僕も、独立して、オーナーと直接交渉する立場となると、やっぱり、トラブルがあたりして、今、身につまされる話だと、いたく痛感しています。
とにかく、ミースの生涯の全貌がわかり、ミースのデザインの理解・納得が得られる思います。
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Mies Van Der Rohe: The Art of Structure

著者 : Werner Blaser/ Mies Van Der Rohe

訳者 : -


整理番号 : 212

分類 : 建築_作品   |  ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:308048

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ヒロシの書評:
手ごろなミース・ファン・デル・ローエの作品集がないと思っていたのであるが、気に入って、購入した。
竣工写真、図面、スケッチ、コラージュ、模型など、程よく構成されている。写真も、全体像ばかりでなく、ディティールのカットや、工事中のITTクラウンホールの工事中のカット、意図的なフレーミングの写真で構成されている。
ミース・ファン・デル・ローエ本人が構成・編集したわけではないが、あたかもミース・ファン・デル・ローエが意図した構成・編集したと思える雰囲気を持っていると僕は感じた。

改めて、本を見ると、覚書が沿えれれており、この版権は、著者のWerner Blaserとミース・ファン・デル・ローエの双方に属し、ミースも快く同意し・協力しているようだ。
やはり、ミース・ファン・デル・ローエの意図を汲んだ、著作なのだと思う。

僕も気にいているから、最近は、ミースを見たいときは、これをめくることが多い。
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特集:建築ー現実と詩の架橋|ル・コルビュジェ|ミース|ライト(a+u 1981.1)

著者 : -

訳者 : -


整理番号 : 153

分類 : 建築_作品   |  ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:10000000

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ヒロシの書評:
-ル・コルビジェ、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライトの現代建築3巨匠の特集である。
大学のとき、手っ取り早く3人が見れる作品集として、購入した記憶がある。
3巨匠の特集とはいえ、ル・コルビジェは、サヴォア邸のみを扱い、ルネ・フェラー氏の解説論文が付け加えれれている。フランク・ロイド・ライトは、内井昭蔵氏の住宅を中心とした関する解説、藤井克昌氏のタイセリアンの解説がある。

とはいえ、この本、実は、ミース・ファン・デル・ローエの紹介が、ほとんどを占める。そのページが160ページあまり、他の2巨匠はいずれも20-30ページである。ミース・ファン・デル・ローエの特集といってもよいであろう。
この時代、近代建築の均一性、単純性が、批判の的となり、おりしもポストモダニズムに大きく傾斜するまさにそのとき、ミース・ファン・デル・ローエは、過去の人と認識する建築かも多かったのではなかろうか。
ル・コルビジェ、フランク・ロイド・ライトは、巧みな形体操作や装飾性により、その批判をかわし、生き延びたともいえる。中で、ミース・ファン・デル・ローエは、I型鋼とガラスという、用途にかかわらない一貫したデザインが、また、誰でも安易に模倣可能(あくまだも「似て非なるもの」なのだと思うが・・)というデザインが、格好の標的であったことには、間違いでないと思う。
とはいえ、僕は、この「ミース・ファン・デル・ローエの特集」が、どうも気になり、というか、好きでよく見返し、本の背が黄ばんだしまっている。

ミース・ファン・デル・ローエの作品については、実施作品が全て、網羅されているといってもよい、と思う。
加えて、ミースの「AIAゴーオールド・メダル受賞記念講演」の論文と、改めて、ミースの価値を考えるべく、子弟たちの対談・論文が掲載されている。

ミースの僕のお気に入りといえば、IITクラウンホールだ。
このクラウンホールは、シンケルを髣髴とさせる古典的平面構成、ユニバーサル・スペースといいながらも、この建物の主要用途としての建築学科の製図室は、実は半地下のコンクリート製の基壇の中に埋め込まれている、など、批判の標的になったように記憶している。
しかし、このクラウンホールは、逆梁トラスによって生み出され、ユニバーサル・スペースと、規則的でかつ抑揚がある鉄骨柱とI型鋼マリオンとガラスによる立面によって、どこか魅了してやまない。
実際にアメリカ旅行で、見に行ったのであるが、「結晶のような」外観は、衝撃的で、今も心の中に残っている。

改めて、この作品集を見直すと、ミースを評価するに、アメリカ以降の鉄とガラスの建築より、ヨーロッパ時代のバルセロナ・パビリオン、チューゲントハット邸を、その妖艶なデザインから、新た待て評価する向きもあるであろうが、
アメリカ以降、完成時代順に並べた、ファンズワース邸→レイクショア・ドライブ・アパートメント→IITクラウンホール→シーグラム・ビル→ニュー・ナショナル・ギャラリー(ベルリン)に、私は心を引かれる。
「均一な退屈さ」の批判を一手に浴びるこの流れであるが、その一方で、この建築群には、素材の使い方、デザインのあり方に「言われなき質」(皮肉にもこの言葉は、クリストファー・アレキサンダーに夜が)が、組み込まれていると思うのである。
まさにミースの発見した「言われなき質」が、「ファンズワース邸→レイクショア・ドライブ・アパートメント→IITクラウンホール」で創生されてと思うのである。

書評というより、私のミース感となったが、ミースを概観するお手軽特集として、重宝させていただいた。
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GAディテール〈no.1〉ミース・ファン・デル・ローエ ファンズワース邸 1945-50 (1976年)

著者 : ダーク・ローハン

訳者 : -


整理番号 : 5

分類 : 建築_作品   |  ヒロシの分類 : - ,- | amazonランキング:841877

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ヒロシの書評:
大学2年の春に購入したと記憶。
ドローイングを徹底的に研究しようと思って、購入したと思う。
大学1年の賄い付き3帖一間の生活から、脱出。狛江市和泉多摩川の6帖のアパートに引越し。
何もない部屋に、製図台を部屋の真ん中に置き、平面図をトレースして、ケント紙にインキングをした記憶がある。あまり意味のない作業だったようにも思うけど・・。
でも、当時は、安藤忠雄・高松伸よろしくや、建築家がドローイングに力を入れていたから、何かつかみたかったのだと思う。

このディティールを見ていると、その精緻さに驚く。
サッシは全てフラットバーとアングルで作成。ハンドルの形状まで描いてある。さらに、防水の詳細、構造体との取り合い詳細。たてもの全体のモジュール計画から、インテリアのパネル割。設備、家具詳細まで何でもあり。
実際に設計のために描いたものかは、わからないが、とにかくすごい。

アメリカの設計力に、さらに、ミースの一流完全主義者ぶりが伺える。やっぱりここまで書かないと、こんな家は、生まれないのかとも思う。
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GAグローバル・アーキテクチュア〈no.27〉ミース・ファン・デル・ローエ (1974年)

著者 : 二川 幸夫

訳者 : -


整理番号 : 4

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ヒロシの書評:
ファンズ・ワース邸との出会いは、友人の作った建築模型であった。
友人とは高橋慎一君。僕は、一浪でようやくがり勉で大学に入ったのであるが、慎一君は、頭がいいから現役で、法政大学の建築学科に入学。彼は、幼なじみで、一年遅れで上京し、彼の部屋を訪れた。そのとき目にしたのが、ファンズワース邸の模型であった。
これがなんとも、衝撃であった。今までに、見たことも、想像したこともない、家であった。少しは、建築をかじって、学科を選べとも、言われそうであるが、なんとも衝撃だったのである。
慎ちゃん(小学校のころからのニックネーム)や僕の世代は、プラモデル世代で、模型を作るのが、好きな世代。今思うと、慎ちゃんは、子供のころから博識であったから、プラモデルだけでなく帆船の木製の模型や、グライダーなんかも作っていた。
彼は、学校の模型作成の課題で、ファンズワース邸を選び、なんとプラ板を使ってつくっていた。プラ板のエッジのカチッとした雰囲気、プラ板の白さが、妙に形とファンズワース邸という形体と呼応して衝撃的だった。
そして、「ここ何って」真ん中のコアにあたる部分を指差して聞いたら、「厨房」って答えてきた。「それ何???」恥ずかしながら、「厨房」って言葉も知らなかった僕。僕の頭に中には、今まで住んでいた家の台所しか、なかったのである。恥ずかしながら、これも衝撃である。

というわけで、大学の1年のときに買った本である。
イメージでは、新緑の中の白いファンズワース邸、秋の黄色に紅葉した木々の中のファンズワース邸、が、頭の中にこびりついている。
もう一度見直すと、結構、白黒写真も多かった。

今いなおしても、やっぱり、いいなー。って思っちゃう。
どこがいいか?って、うーん。

対比的な緊張感、と、絶妙の調停。

対比的な緊張 : 自然のやわらかさ vs 鉄ガラスの硬さ、自然の雑然さ(フラクタル)vs 直線の構成、自然の拡散的充満 vs 中に浮く結晶のような充実
絶妙の調停 :室-広いテラス-エントランスの基壇-自然。室-透明ガラス-自然。

ってとこかな。

ミースのお手軽、かつ、お奨め写真作品集が少ない中で、結構気に入ってます。
それと、大きな写真で見れるところがいいね。

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